アスリート夢共演

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番組詳細

#16 小林幸一郎 × 野口啓代 (後編)

#16 小林幸一郎 × 野口啓代 (後編)

2017年11月26日放送
今回の競技は「クライミング」。両目の視力をほぼ失いながらもワールドチャンピオンシップでも3度の優勝を果たしている49歳の現役世界チャンピオン・小林幸一郎選手が今回の主役だ。
小林選手を訪ねたのは、2008年に日本人女子として初めてボルダリングワールドカップで優勝した野口啓代(あきよ)選手。21歳の若さで日本のスポーツクライミングを牽引し、2020でのメダルが期待されるアスリートである。クライマーとして旧知の仲の2人だが、今回は、野口選手がアイマスクをして「視覚がないクライミング」の世界を初挑戦する。その驚くべき結果は…必見!
また、2人が話す小林選手が優勝し野口選手が3位になったパリ大会での様子は、障がい・健常を超えたスポーツとしてのクライミングの魅力に溢れている。28歳で発覚した「網膜色素変成症」。次第に視力がなくなっていく難病と向き合いながら、自ら障がい者がクライミングに触れ合えるNPO法人を設立し活動を続ける小林選手。パラクライミングが正式採用されていない2020に向けた特別な思いを野口選手に語る。
日本のクライミング界を代表する二人が語る「大切な言葉」もお見逃し無く!


小林幸一郎  1968年 東京都生まれ
16歳でフリークライミングに出会う。
1996年28歳の時「網膜色素変成症」が発覚、「将来、失明する」と通告される。
2005年NPO法人「モンキーマジック」を設立。同年、キリマンジャロ登頂を果たす。
06年「パラクライミング選手権」視覚障がい者の部優勝。
11年イタリア(B2)14年スペイン(B1)16年パリ(B1)の
ワールドチャンピオンシップで優勝。

野口啓代(あきよ) 1989年 茨城県生まれ
小学5年生の時、家族旅行でフリークライミングと出会う。
2002年小学生最後の春休みに全日本ユース選手権で優勝。
2008年ボルダリング・ワールドカップフランス大会で優勝。日本人女子初の快挙達成。
09年 世界選手権個人総合優勝。
以降多くのワールドカップで3位以上に入りメダルを獲得し、年間ランキング1位にも多数回輝く。
17年 ワールドゲームズ日本代表。2020のメダルが期待される。

#15 小林幸一郎 × 野口啓代 (前編)

#15 小林幸一郎 × 野口啓代 (前編)

2017年11月19日放送
今回の競技は「クライミング」。両目の視力をほぼ失いながらもワールドチャンピオンシップでも3度の優勝を果たしている49歳の現役世界チャンピオン・小林幸一郎選手が今回の主役だ。
小林選手を訪ねたのは、2008年に日本人女子として初めてボルダリングワールドカップで優勝した野口啓代(あきよ)選手。21歳の若さで日本のスポーツクライミングを牽引し、2020でのメダルが期待されるアスリートである。クライマーとして旧知の仲の2人だが、今回は、野口選手がアイマスクをして「視覚がないクライミング」の世界を初挑戦する。その驚くべき結果は…必見!
また、2人が話す小林選手が優勝し野口選手が3位になったパリ大会での様子は、障がい・健常を超えたスポーツとしてのクライミングの魅力に溢れている。28歳で発覚した「網膜色素変成症」。次第に視力がなくなっていく難病と向き合いながら、自ら障がい者がクライミングに触れ合えるNPO法人を設立し活動を続ける小林選手。パラクライミングが正式採用されていない2020に向けた特別な思いを野口選手に語る。
日本のクライミング界を代表する二人が語る「大切な言葉」もお見逃し無く!


小林幸一郎  1968年 東京都生まれ
16歳でフリークライミングに出会う。
1996年28歳の時「網膜色素変成症」が発覚、「将来、失明する」と通告される。
2005年NPO法人「モンキーマジック」を設立。同年、キリマンジャロ登頂を果たす。
06年「パラクライミング選手権」視覚障がい者の部優勝。
11年イタリア(B2)14年スペイン(B1)16年パリ(B1)の
ワールドチャンピオンシップで優勝。

野口啓代(あきよ) 1989年 茨城県生まれ
小学5年生の時、家族旅行でフリークライミングと出会う。
2002年小学生最後の春休みに全日本ユース選手権で優勝。
2008年ボルダリング・ワールドカップフランス大会で優勝。日本人女子初の快挙達成。
09年 世界選手権個人総合優勝。
以降多くのワールドカップで3位以上に入りメダルを獲得し、年間ランキング1位にも多数回輝く。
17年 ワールドゲームズ日本代表。2020のメダルが期待される。

#14 伊藤 力 × 岡本依子 (後編)

#14 伊藤 力 × 岡本依子 (後編)

2017年10月22日放送
前回の『パラバドミントン』に続き、今回の競技も2020東京からパラリンピックの正式種目となる『パラテコンドー』。
今回の主役は、そのパラテコンドーに打ち込む隻腕のアスリート伊藤力選手。2015年に職場の事故で右肘上部を切断した伊藤選手がテコンドーの道に入ったのは、シドニー五輪銅メダリスト・岡本依子さんのSNSがきっかけだった。そして、今回の「夢共演」のお相手は岡本依子さん、その人だ。2016年1月にテコンドーを始めた伊藤選手は、その3ヵ月後に日本代表として、「アジアパラテコンドーオープン選手権大会」に出場。そこでの敗戦が、幼い頃からスポーツで培った「負けん気」に火を付けたと岡本さんとの対談で語る。面識はあるものの、一緒に本格的に練習をするのは初めての二人だが、岡本さんの適切な指導で、伊藤選手が何かを掴んだ様子!二人が魅せる迫力満点の「技」も必見!パラリンピックで初めてのテコンドーの金メダリストを目指す伊藤選手と、指導者として2020を迎える岡本さん、二人の「東京」への思いとは…。
そして、二人が語る「大切な言葉」もお見逃し無く!


伊藤 力  1985年 宮城県生まれ
中学では剣道、高校ではテニスに打ち込む。
2015年、職場の事故で右肘上部を切断。
2016年にパラテコンドーを始め、3ヶ月で日本代表入りしアジアパラテコンドーオープン選手権大会に初出場。
同年の第1回全日本障がい者総合テコンドープムセ選手権大会 優勝。
2017年U.S.パラテコンドー選手権大会(アメリカ) 優勝


岡本依子 1971年 大阪府生まれ
中学の時に空手を始め、大学3年の留学先・オレゴン大学(米)でテコンドーと
出会う。
1983年全日本選手権で初出場初優勝、以来国内では負けなし。
2000年シドニーオリンピック女子67Kg級で銅メダル。
02年 ワールドカップ東京大会女子67Kg級で銀メダル。
09年 現役引退。
現在は、全日本テコンドー協会理事として、普及・指導に当たる。

#13 伊藤 力 × 岡本依子 (前編)

#13 伊藤 力 × 岡本依子 (前編)

2017年10月15日放送
前回の『パラバドミントン』に続き、今回の競技も2020東京からパラリンピックの正式種目となる『パラテコンドー』。
今回の主役は、そのパラテコンドーに打ち込む隻腕のアスリート伊藤力選手。2015年に職場の事故で右肘上部を切断した伊藤選手がテコンドーの道に入ったのは、シドニー五輪銅メダリスト・岡本依子さんのSNSがきっかけだった。そして、今回の「夢共演」のお相手は岡本依子さん、その人だ。2016年1月にテコンドーを始めた伊藤選手は、その3ヵ月後に日本代表として、「アジアパラテコンドーオープン選手権大会」に出場。そこでの敗戦が、幼い頃からスポーツで培った「負けん気」に火を付けたと岡本さんとの対談で語る。面識はあるものの、一緒に本格的に練習をするのは初めての二人だが、岡本さんの適切な指導で、伊藤選手が何かを掴んだ様子!二人が魅せる迫力満点の「技」も必見!パラリンピックで初めてのテコンドーの金メダリストを目指す伊藤選手と、指導者として2020を迎える岡本さん、二人の「東京」への思いとは…。
そして、二人が語る「大切な言葉」もお見逃し無く!


伊藤 力  1985年 宮城県生まれ
中学では剣道、高校ではテニスに打ち込む。
2015年、職場の事故で右肘上部を切断。
2016年にパラテコンドーを始め、3ヶ月で日本代表入りしアジアパラテコンドーオープン選手権大会に初出場。
同年の第1回全日本障がい者総合テコンドープムセ選手権大会 優勝。
2017年U.S.パラテコンドー選手権大会(アメリカ) 優勝


岡本依子 1971年 大阪府生まれ
中学の時に空手を始め、大学3年の留学先・オレゴン大学(米)でテコンドーと
出会う。
1983年全日本選手権で初出場初優勝、以来国内では負けなし。
2000年シドニーオリンピック女子67Kg級で銅メダル。
02年 ワールドカップ東京大会女子67Kg級で銀メダル。
09年 現役引退。
現在は、全日本テコンドー協会理事として、普及・指導に当たる。

#12 長島理 × 小椋久美子 (後編)

#12 長島理 × 小椋久美子 (後編)

2017年09月24日放送
2020東京からパラリンピックの正式種目となる『パラバドミントン』。車いすバドミントンの日本のエース・長島理(ながしま おさむ)選手が、今回の主人公だ。「夢共演」のお相手は、北京五輪女子ダブルス日本代表・「オグシオ」でバドミントンブームを巻き起こした小椋久美子さん。中学時代にバドミントンを始めた長島選手は、千葉大学2年の時に交通事故で脊髄を損傷し車いす生活を余儀なくされたが、退院後に出会った「車いすバドミントン」で再び競技を始める。
大学を首席で卒業した長島選手は、誰もが知っている「トイレの技術開発」をしながら競技生活も続け、日本選手権のシングルスで13度の優勝、ダブルスでも11連覇を達成するなど文字通り「文武両道」のアスリートに成長した。

そんな長島選手と一緒に、初めて「車いすバドミントン」の世界を体験した小椋さん。その「奮闘ぶり」にご期待。
日本を代表する二人が、最後は「車いすバドミントン対決」!果たして、その結果は…?!お見逃し無く!!
そして、二人が語る「大切な言葉」は、今回も皆さんの胸に響く。


長島 理  1979年 埼玉県生まれ
中学からバドミントンを始める。
千葉大学2年の時に交通事故で脊髄損傷、車いす生活になった後「車いすバドミントン」を始める。
2013年世界選手権で、シングルス・ダブルス・ミックスダブルスの3種目で銅メダル獲得。
2015年の世界選手権でもダブルスで銅。
日本国内では、シングルス通算13度の優勝、ダブルスは過去に11連覇達成。


小椋久美子 1983年 三重県生まれ
8歳の時に姉の影響でバドミントンを始める。
2002年全日本総合選手権シングルス優勝。
2004年~ 全日本総合選手権女子ダブルス5連覇。
07年 世界選手権女子ダブルス3位。
08年 北京五輪女子ダブルス5位入賞。

#11 長島理 × 小椋久美子 (前編)

#11 長島理 × 小椋久美子 (前編)

2017年09月17日放送
2020東京からパラリンピックの正式種目となる『パラバドミントン』。車いすバドミントンの日本のエース・長島理(ながしま おさむ)選手が、今回の主人公だ。「夢共演」のお相手は、北京五輪女子ダブルス日本代表・「オグシオ」でバドミントンブームを巻き起こした小椋久美子さん。中学時代にバドミントンを始めた長島選手は、千葉大学2年の時に交通事故で脊髄を損傷し車いす生活を余儀なくされたが、退院後に出会った「車いすバドミントン」で再び競技を始める。
大学を首席で卒業した長島選手は、誰もが知っている「トイレの技術開発」をしながら競技生活も続け、日本選手権のシングルスで13度の優勝、ダブルスでも11連覇を達成するなど文字通り「文武両道」のアスリートに成長した。

そんな長島選手と一緒に、初めて「車いすバドミントン」の世界を体験した小椋さん。その「奮闘ぶり」にご期待。
日本を代表する二人が、最後は「車いすバドミントン対決」!果たして、その結果は…?!お見逃し無く!!
そして、二人が語る「大切な言葉」は、今回も皆さんの胸に響く。


長島 理  1979年 埼玉県生まれ
中学からバドミントンを始める。
千葉大学2年の時に交通事故で脊髄損傷、車いす生活になった後「車いすバドミントン」を始める。
2013年世界選手権で、シングルス・ダブルス・ミックスダブルスの3種目で銅メダル獲得。
2015年の世界選手権でもダブルスで銅。
日本国内では、シングルス通算13度の優勝、ダブルスは過去に11連覇達成。


小椋久美子 1983年 三重県生まれ
8歳の時に姉の影響でバドミントンを始める。
2002年全日本総合選手権シングルス優勝。
2004年~ 全日本総合選手権女子ダブルス5連覇。
07年 世界選手権女子ダブルス3位。
08年 北京五輪女子ダブルス5位入賞。

#10 藤本怜央 × 五十嵐圭 (後編)

#10 藤本怜央 × 五十嵐圭 (後編)

2017年08月27日放送
リオパラリンピック日本代表選手団の主将・車いすバスケットボールの藤本怜央選手が登場!「夢共演」のお相手は、Bリーグ新潟アルビレックスBBの『元祖イケメンアスリート』五十嵐圭選手。小学校3年の時に交通事故で右足の膝から下を失った。5年生から始めたバスケットボールも、高校までは健常者のチームで行っていた。その藤本選手が車いすバスケットボールに出会ったのは、東北福祉大学1年の時。そして、19歳で代表入りしてからは、アテネから4大会連続でパラリンピックに出場する日本のエースに駆け上がる。その藤本選手の「車いすバスケのスゴ技」を、2006年に日本で行われた「バスケットボール世界選手権」の日本代表だった五十嵐選手が体験。様々な技に挑戦するが、その流石なこなし方は必見だ。
対談では、2020で悲願のメダルを目指す藤本選手の原動力になっている「父からの言葉」が明かされる。また、二人の愛する奥様の秘話も出た対談では、五十嵐選手の2020への思いも語られる。
バスケットボールに尽きる事のない情熱を燃やす二人が、最後に見せるのは「フリースロー対決」!その結果は…?!お見逃し無く!!
そして、日本のバスケットボール界をリードする二人が語る「大切な言葉」もお楽しみに!

藤本怜央  1983年9月22日 静岡県生まれ
小学3年生の時に交通事故で右足の膝から下を切断。
東北福祉大学1年の時に車いすバスケットボールに出会い、19歳で日本代表2004アテネから16リオまで4大会連続でパラリンピック出場。リオでは日本選手団の主将を務める。
日本で所属する「宮城マックス」は、17年大会で9連覇達成。
2014-5シーズンから、ドイツ・ブンデスリーガ「BG BasketsHamburg」に所属。


五十嵐圭 1980年5月7日 新潟県生まれ
中央大学時代インターカレッジ3位(1年)準優勝(3年)。
2003日立サンロッカーズ入団、05年キリンカップ優秀選手。
2006世界選手権・日本代表。
2009トヨタ自動車アルバルク-10~16三菱電機ダイヤモンドドルフィンズを経て、16オフ新潟アルビレックスBBに移籍。
2014NBLオールスターに選出。

#9 藤本怜央 × 五十嵐圭 (前編)

#9 藤本怜央 × 五十嵐圭 (前編)

2017年08月20日放送
リオパラリンピック日本代表選手団の主将・車いすバスケットボールの藤本怜央選手が登場!「夢共演」のお相手は、Bリーグ新潟アルビレックスBBの『元祖イケメンアスリート』五十嵐圭選手。小学校3年の時に交通事故で右足の膝から下を失った。5年生から始めたバスケットボールも、高校までは健常者のチームで行っていた。その藤本選手が車いすバスケットボールに出会ったのは、東北福祉大学1年の時。そして、19歳で代表入りしてからは、アテネから4大会連続でパラリンピックに出場する日本のエースに駆け上がる。その藤本選手の「車いすバスケのスゴ技」を、2006年に日本で行われた「バスケットボール世界選手権」の日本代表だった五十嵐選手が体験。様々な技に挑戦するが、その流石なこなし方は必見だ。
対談では、2020で悲願のメダルを目指す藤本選手の原動力になっている「父からの言葉」が明かされる。また、二人の愛する奥様の秘話も出た対談では、五十嵐選手の2020への思いも語られる。
バスケットボールに尽きる事のない情熱を燃やす二人が、最後に見せるのは「フリースロー対決」!その結果は…?!お見逃し無く!!
そして、日本のバスケットボール界をリードする二人が語る「大切な言葉」もお楽しみに!

藤本怜央  1983年9月22日 静岡県生まれ
小学3年生の時に交通事故で右足の膝から下を切断。
東北福祉大学1年の時に車いすバスケットボールに出会い、19歳で日本代表2004アテネから16リオまで4大会連続でパラリンピック出場。リオでは日本選手団の主将を務める。
日本で所属する「宮城マックス」は、17年大会で9連覇達成。
2014-5シーズンから、ドイツ・ブンデスリーガ「BG BasketsHamburg」に所属。

五十嵐圭 1980年5月7日 新潟県生まれ
中央大学時代インターカレッジ3位(1年)準優勝(3年)。
2003日立サンロッカーズ入団、05年キリンカップ優秀選手。
2006世界選手権・日本代表。
2009トヨタ自動車アルバルク-10~16三菱電機ダイヤモンドドルフィンズを経て、16オフ新潟アルビレックスBBに移籍。
2014NBLオールスターに選出。

#8 鈴木徹 × 醍醐直幸 (後編)

#8 鈴木徹 × 醍醐直幸 (後編)

2017年07月23日放送
障がい者と健常者、走り高跳びそれぞれの日本記録保持者の「夢共演」が実現!鈴木徹選手は、健常者の頃は、国体で3位に入るほど将来を嘱望されたハンドボール選手だったが、高校卒業を目前にして自動車事故で右足を失う。
そのリハビリの最中に出会った走り高跳びで、どこまでも前向きな気持ちが開花し、シドニーから5大会連続でパラリンピックに出場。日本人初の「義足のプロアスリート」となり、2006年に日本人で初めて2m00を跳んだ。
そんな鈴木選手の練習場を訪ねた醍醐直幸さんも、2006年に今も破られていない2m33の日本記録をマーク。実は、二人は、この時同じコーチの指導を受けていた。お互いに切磋琢磨した二人だからこそ話せる「走り高跳び」の魅力。今は指導者として後進の育成にあたる醍醐さんから、鈴木選手にアドバイスを送る場面も。意地と意地がぶつかり合う二人の「ガチ対決」は、もちろん「走り高跳び」で!その結果は、大注目だ!
そして、日本記録保持者の二人が語る「大切な言葉」とは…?
お楽しみに!

鈴木徹  1988年5月4日 山梨県生まれ
日本人初の義足のプロアスリート。
高校時代は、国体で3位になるほどのハンドボール選手だったが、卒業直前に自動車事故で右足を切断。
2000年、右足を失ってわずか1年余りでシドニーパラリンピックに出場、以後5大会連続でパラリンピック日本代表に。(シドニー6位・04アテネ6位・08北京は選手団旗手で5位・12ロンドンは4位入賞)
2006年日本人初の2m00を跳び自身の日本記録を更新。
2016年の2m02が、現在の日本記録。

醍醐直幸 1981年1月18日 東京都生まれ
高校時代に世界ジュニア陸上選手権で7位入賞。
1999年東海大学入学直後、日本インカレ優勝。
2003~09年の間に日本選手権5回優勝。
2006年日本選手権の2m33は、今も破られていない日本記録。
2013年現役引退を表明し、14年から東京高校で教諭を務めながら後進の指導にあたる。

#7 鈴木徹 × 醍醐直幸 (前編)

#7 鈴木徹 × 醍醐直幸 (前編)

2017年07月16日放送
障がい者と健常者、走り高跳びそれぞれの日本記録保持者の「夢共演」が実現!鈴木徹選手は、健常者の頃は、国体で3位に入るほど将来を嘱望されたハンドボール選手だったが、高校卒業を目前にして自動車事故で右足を失う。
そのリハビリの最中に出会った走り高跳びで、どこまでも前向きな気持ちが開花し、シドニーから5大会連続でパラリンピックに出場。日本人初の「義足のプロアスリート」となり、2006年に日本人で初めて2m00を跳んだ。
そんな鈴木選手の練習場を訪ねた醍醐直幸さんも、2006年に今も破られていない2m33の日本記録をマーク。実は、二人は、この時同じコーチの指導を受けていた。お互いに切磋琢磨した二人だからこそ話せる「走り高跳び」の魅力。今は指導者として後進の育成にあたる醍醐さんから、鈴木選手にアドバイスを送る場面も。意地と意地がぶつかり合う二人の「ガチ対決」は、もちろん「走り高跳び」で!その結果は、大注目だ!
そして、日本記録保持者の二人が語る「大切な言葉」とは…?
お楽しみに!

鈴木徹  1988年5月4日 山梨県生まれ
日本人初の義足のプロアスリート。
高校時代は、国体で3位になるほどのハンドボール選手だったが、卒業直前に自動車事故で右足を切断。
2000年、右足を失ってわずか1年余りでシドニーパラリンピックに出場、以後5大会連続でパラリンピック日本代表に。(シドニー6位・04アテネ6位・08北京は選手団旗手で5位・12ロンドンは4位入賞)
2006年日本人初の2m00を跳び自身の日本記録を更新。
2016年の2m02が、現在の日本記録。

醍醐直幸 1981年1月18日 東京都生まれ
高校時代に世界ジュニア陸上選手権で7位入賞。
1999年東海大学入学直後、日本インカレ優勝。
2003~09年の間に日本選手権5回優勝。
2006年日本選手権の2m33は、今も破られていない日本記録。
2013年現役引退を表明し、14年から東京高校で教諭を務めながら後進の指導にあたる。

#6 西崎哲男 × 三宅宏実 (後編)

#6 西崎哲男 × 三宅宏実 (後編)

2017年06月25日放送
23歳の時に交通事故で両足の自由を失った西崎哲男選手。健常者の頃は、インターハイや国体でベスト8に入るほど将来を嘱望されたレスリング選手だった。事故後に出会ったパラパワーリフティングで、持ち前の負けん気が開花。2015年に当時の日本新記録133kgをマークする。
そんな西崎選手の練習場を訪ねたのは、重量挙げ五輪2大会連続メダリストの三宅宏実選手。似ている様で異なる競技の、パワーリフティングとウエイトリフティングだが、三宅選手が西崎選手に送った「目から鱗」のワンポイントアドバイスとは…?!
意地と意地がぶつかり合う二人の「ガチ対決」の方法とその行方も注目です!
そして、対談では、日本中を感動させた三宅選手の「リオオリンピック銅メダル秘話」も明かされます。
それぞれの競技で日本をリードする二人が語る「大切な言葉」も、きっと貴方の胸に響きます。お見逃し無く!!


西崎哲男 1977年4月26日 奈良県生まれ
高校時代は、インターハイや国体に出場するレスリング選手だったが、
23歳の時交通事故で両足の自由を失い、車いす生活に。
2006年車いす陸上で、世界選手権男子400mに出場。
2013年パラパワーリフティングに転向し、2015年日本新記録を樹立。
2016年リオパラリンピック日本代表。


三宅宏実 1985年11月18日 埼玉県生まれ
メキシコ五輪銅メダリスト三宅義行を父に持つが、本格的にウエイトリフティングを始めたきっかけは、シドニー五輪の女子ウエイトリフティングを見て
感動した事。
2011,13,14年女子53kg級日本選手権優勝。
2012年ロンドンオリンピック女子48kg級銀メダル。
2016年リオオリンピック女子48kg級銅メダルで2大会連続メダル獲得。
女子48kg級・53kg級の日本記録保持者。

#5 西崎哲男 × 三宅宏実 (前編)

#5 西崎哲男 × 三宅宏実 (前編)

2017年06月18日放送
23歳の時に交通事故で両足の自由を失った西崎哲男選手。健常者の頃は、インターハイや国体でベスト8に入るほど将来を嘱望されたレスリング選手だった。事故後に出会ったパラパワーリフティングで、持ち前の負けん気が開花。2015年に当時の日本新記録133kgをマークする。
そんな西崎選手の練習場を訪ねたのは、重量挙げ五輪2大会連続メダリストの三宅宏実選手。似ている様で異なる競技の、パワーリフティングとウエイトリフティングだが、三宅選手が西崎選手に送った「目から鱗」のワンポイントアドバイスとは…?!
意地と意地がぶつかり合う二人の「ガチ対決」の方法とその行方も注目です!
そして、対談では、日本中を感動させた三宅選手の「リオオリンピック銅メダル秘話」も明かされます。
それぞれの競技で日本をリードする二人が語る「大切な言葉」も、きっと貴方の胸に響きます。お見逃し無く!!

西崎哲男 1977年4月26日 奈良県生まれ
高校時代は、インターハイや国体に出場するレスリング選手だったが、23歳の時交通事故で両足の自由を失い、車いす生活に。
2006年車いす陸上で、世界選手権男子400mに出場。
2013年パラパワーリフティングに転向し、2015年日本新記録を樹立。
2016年リオパラリンピック日本代表。


三宅宏実 1985年11月18日 埼玉県生まれ
メキシコ五輪銅メダリスト三宅義行を父に持つが、本格的にウエイトリフティングを始めたきっかけは、シドニー五輪の女子ウエイトリフティングを見て感動した事。
2011,13,14年女子53kg級日本選手権優勝。
2012年ロンドンオリンピック女子48kg級銀メダル。
2016年リオオリンピック女子48kg級銅メダルで2大会連続メダル獲得。
女子48kg級・53kg級の日本記録保持者。

#4 三澤拓 × 岡部哲也 (後編)

#4 三澤拓 × 岡部哲也 (後編)

2017年05月21日放送
6歳の時に交通事故で左足を失った三澤拓(ひらく)選手は、自らを「片足スキーヤー」と呼び、トリノから3大会連続で冬のパラリンピックに出場。来年のピョンチャンはもちろん、「夢はオリンピック出場」と公言する熱血スキーヤー。
共演したのは、FISアルペンワールドカップで日本人として初めて表彰台に上がったレジェンド・岡部哲也さん。岡部さんも「片足スキー」に挑戦する。
日本を代表するアルペンスキーヤー二人が「ガチ対決」も!その結果は、手に汗握るスキー史上に残る?様な好勝負に。果たして結果は?!
そして、第一人者の二人が紡ぐ「夢の言葉」とは…?!

三澤拓 1987年7月12日 長野県生まれ
6歳の時交通事故で左足を失い、9歳でスキーを始める。
2006年トリノから2014年ソチまで3大会連続パラリンピック日本代表。
トリノでは、SL5位入賞の実績を持つ。
2013-14の北米カップGS第2戦で優勝。


岡部哲也 1965年5月15日 北海道生まれ
中学2年で全国中学生スキー大会GSLで優勝、ナショナルチーム入り。
1983年世界ジュニア選手権6位入賞。
1988年ノルウェー・オップダールのFISワールドカップで2位
日本人初の表彰台に。
1989-90年シーズンでは、全9レース中6レースで6位以内入賞。
1995年3月富良野大会を最後に現役引退。
現在は、岡部哲也スキースクールで後進の指導にあたる。

#3 三澤拓 × 岡部哲也 (前編)

#3 三澤拓 × 岡部哲也 (前編)

2017年05月14日放送
6歳の時に交通事故で左足を失った三澤拓(ひらく)選手は、自らを「片足スキーヤー」と呼び、トリノから3大会連続で冬のパラリンピックに出場。来年のピョンチャンはもちろん、「夢はオリンピック出場」と公言する熱血スキーヤー。
共演したのは、FISアルペンワールドカップで日本人として初めて表彰台に上がったレジェンド・岡部哲也さん。岡部さんも「片足スキー」に挑戦する。
日本を代表するアルペンスキーヤー二人が「ガチ対決」も!その結果は、手に汗握るスキー史上に残る?様な好勝負に。果たして結果は?!
そして、第一人者の二人が紡ぐ「夢の言葉」とは…?!

三澤拓 1987年7月12日 長野県生まれ
6歳の時交通事故で左足を失い、9歳でスキーを始める。
2006年トリノから2014年ソチまで3大会連続パラリンピック日本代表。
トリノでは、SL5位入賞の実績を持つ。
2013-14の北米カップGS第2戦で優勝。


岡部哲也 1965年5月15日 北海道生まれ
中学2年で全国中学生スキー大会GSLで優勝、ナショナルチーム入り。
1983年世界ジュニア選手権6位入賞。
1988年ノルウェー・オップダールのFISワールドカップで2位
日本人初の表彰台に。
1989-90年シーズンでは、全9レース中6レースで6位以内入賞。
1995年3月富良野大会を最後に現役引退。
現在は、岡部哲也スキースクールで後進の指導にあたる。

#2 松元剛 × 山﨑武司 (後編)

#2 松元剛 × 山﨑武司 (後編)

2017年04月23日放送
小学生から野球一筋だった松元剛選手は、26歳の時に仕事中の事故で左腕の肘から下と、右手の人差し指と中指を失った。そんな彼を再びグラウンドに戻らせたのは「もう一つのWBC」と言われる「身体障がい者野球の世界大会」で躍動する選手たちの姿と、暖かい家族の支えだった。
そんな松元選手と夢共演するのは、元中日ドラゴンズの山﨑武司さん。
障がい者野球に触れるのは初めてと言う山﨑さんだが、「隻腕の魔術師」と称される松元選手のプレーと野球への情熱に感心しきり。
障がい者野球優秀選手とプロ野球ホームラン王&打点王。愛知県出身の野球を愛する二人が、ボールを通じて魅せてくれる「夢の共演」をお見逃し無く!

松元剛 1973年12月16日 鹿児島県生まれ
小学生から野球に打ち込むが、26歳の時仕事中の事故で感電。左腕の肘から下と、右手の人差し指と中指を失う。
2006年に障がい者野球と出会い、2010年日本代表として出場した身体障害者野球世界大会で優勝、優秀選手に選出。
現在も名古屋ビクトリーのリードオフマンとして、チームを牽引している。


山﨑武司 1968年11月7日 愛知県生まれ
愛知工業大学名電高校を卒業後、中日ドラゴンズに入団。
1996年セリーグホームラン王と最多勝利打点のタイトルを獲得。
楽天移籍後の2007年パリーグホームラン王と打点王の2冠。
中日・楽天で3度ベストナインに選出。
中日-オリックス-楽天-中日でプレーし、2013年のシーズンを最後に現役引退。
現在は、野球解説者として野球の普及に努める。

#1 松元剛 × 山﨑武司 (前編)

#1 松元剛 × 山﨑武司 (前編)

2017年04月16日放送
小学生から野球一筋だった松元剛選手は、26歳の時に仕事中の事故で左腕の肘から下と、右手の人差し指と中指を失った。そんな彼を再びグラウンドに戻らせたのは「もう一つのWBC」と言われる「身体障がい者野球の世界大会」で躍動する選手たちの姿と、暖かい家族の支えだった。
そんな松元選手と夢共演するのは、元中日ドラゴンズの山﨑武司さん。
障がい者野球に触れるのは初めてと言う山﨑さんだが、「隻腕の魔術師」と称される松元選手のプレーと野球への情熱に感心しきり。
障がい者野球優秀選手とプロ野球ホームラン王&打点王。愛知県出身の野球を愛する二人が、ボールを通じて魅せてくれる「夢の共演」をお見逃し無く!

松元剛 1973年12月16日 鹿児島県生まれ
小学生から野球に打ち込むが、26歳の時仕事中の事故で感電。左腕の肘から下と、右手の人差し指と中指を失う。
2006年に障がい者野球と出会い、2010年日本代表として出場した身体障害者野球世界大会で優勝、優秀選手に選出。
現在も名古屋ビクトリーのリードオフマンとして、チームを牽引している。


山﨑武司 1968年11月7日 愛知県生まれ
愛知工業大学名電高校を卒業後、中日ドラゴンズに入団。
1996年セリーグホームラン王と最多勝利打点のタイトルを獲得。
楽天移籍後の2007年パリーグホームラン王と打点王の2冠。
中日・楽天で3度ベストナインに選出。
中日-オリックス-楽天-中日でプレーし、2013年のシーズンを最後に現役引退。
現在は、野球解説者として野球の普及に努める。

#20 吉田信一 × 平野早矢香 (後編)

#20 吉田信一 × 平野早矢香 (後編)

2017年01月21日放送
今回の主役は、リオパラリンピック・車いす卓球日本代表の吉田真一選手・52歳。17歳の時に交通事故で車いす生活になった福島県出身の吉田選手は、28歳の時に卓球に出会う。そして、2011年。東日本大震災で被災した地元のために、本格的にパラリンピックを目指してからは、不断の努力で、リオパラリンピックの代表に。そんな吉田選手を訪ねたのは、北京・ロンドンと2大会連続でオリンピックに出場し、ロンドンでは女子団体で日本を銀メダルに導いた卓球・下日本代表の平野早矢香さん。オリンピック銀メダリストの平野さんも、車いす卓球は初体験。五輪メダリストが感じたその奥深さと楽しさとは…。

さらには、2人が車いす卓球で直接対決の真剣勝負!ここで、平野さんの表情が一変。現役時代さながらの勝負師の顔に!果たして、その結果は…?!そして、2人が、その競技人生で大切にしている言葉に込められた「共通の思い」とは。平野さんは、吉田選手の卓球への思いにも迫る。日本卓球界を代表する二人の「夢共演」お見逃し無く!


吉田 信一  1965年 福島県生まれ
17歳の時、バイクの交通事故で車いす生活に。
28歳で車いす卓球と出会う。
2011年の東日本大震災被災した地元の為にパラリンピックを目指す。
16年リオパラリンピック・車いす卓球日本代表。

平野早矢香  1985年 栃木県生まれ
幼稚園の時に両親の影響で卓球を始める。
18歳で全日本選手権を初制覇。
2008年北京オリンピック・卓球女子日本代表。
12年ロンドンオリンピック・卓球女子団体で銀メダルを獲得。
14年 の世界選手権で日本女子31年ぶりの銀メダル。
16年競技生活を引退。

番組詳細

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