サタデードキュメント

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番組詳細

#51「がんとお金~“夢の薬”の光と影」

#51「がんとお金~“夢の薬”の光と影」

2017年05月20日放送
「夢のがん治療薬」といわれる薬がある。2014に承認された「ニボルマブ」(商品名:オプジーボ)。これまでの抗がん剤とは違ってニボルマブは免疫系に作用するはじめての薬で、その仕組みを発見した京都大学の本庶佑(ほんじょ・たすく)客員教授は、昨年度のノーベル賞医学・生理学賞の候補にもなった。もともとこの薬は悪性黒色腫(メラノーマ)の治療薬として大阪の小野薬品工業がアメリカのベンチャー企業と共同開発し、商品化した。この薬が一気に脚光を浴びたのは一昨年、肺がんの治療薬として承認されたときだ。対象となる患者数は5万人に急増したからである。しかし、同時に課題が浮き彫りになります。ニボルマブを1年間投与すると一人あたり実に3,500万円にのぼる。日本では保険と高額療養制度によって患者の負担は軽減されますが、もし5万人の患者に1年間投与された場合、薬剤費だけで年に1兆7,500億円にのぼってしまう。このため医学界などの一部からは、公的医療保険制度を破壊し「国を亡ぼす薬」という危惧の声がでてきた。ただでさえ高齢化がすすむ中で医療費の増大は国家的課題となっている。夢の薬はどう扱うべきか…。二年に一度、薬価改定制度を話し合う中央社会保険医療協議会は昨年夏、急きょ見直しを始めた。同時に国会でも「なぜ、これほど価格が高いのか」が議論となった。がん治療の研究と商品化につぎこまれる莫大な費用と時間。年々うなぎのぼりになる薬の価格。そして世界保健機構(WHO)から世界最高の保険制度と評価されたこともある日本の国民皆保険制度がこの先はたして維持できるのかどうか。がん治療薬の、光と影を描く。

・「第24回坂田記念ジャーナリズム賞」
  スクープ・企画部門 受賞

【制作】
MBS毎日放送

#50「熱血栄養士!おいしい給食のヒミツ」

#50「熱血栄養士!おいしい給食のヒミツ」

2017年05月13日放送
とびっきりおいしい給食を作る北見の管理栄養士の佐々木十美(とみ)さんは、給食を作って40年。自らを給食の鬼と呼び、大きな骨がついたままの魚を子どもたちに出したり、旬の食材を求めてヒグマが出没する森に分け入るなど、子どもに媚びず、徹底したおいしさの追及を信条にしている。すべては食べる力を育てる為と語る佐々木十美さん。熱血栄養士の妥協なき給食作りと、おいしさにこめられた子どもたちへの思いをお送りする。

・「2011年日本民間放送連盟賞」
  テレビ教養番組部門・北海道東北地区優秀賞受賞  
【制作】
HBC北海道放送

#49「西米良 ご長寿御一行様 平成のお江戸見物ツアー」

#49「西米良 ご長寿御一行様 平成のお江戸見物ツアー」

2017年05月06日放送
宮崎市内から車でおよそ2時間の西米良村。人口およそ1200人の県内で一番小さな村。昔は、林業で栄えた村だったが、現在65歳以上の高齢化率は、なんと41%と見事なまでの超高齢社会となってしまった。
しかし、ここで暮らすおじいちゃん、おばあちゃんはとにかく元気!
「生涯現役元気村」のキャッチフレーズのもと、朝は5時に起きて村営の温泉施設の清掃、昼は、畑仕事やグランドゴルフ、そして、直売所で郷土料理のにしめ作りなど、それぞれ生き生きと働いている。
そんな西米良村で暮らす、おじいちゃんおばあちゃんのための史上最大のイベントが企画されることに!その名も『西米良 平成のお江戸見物ツアー』。
75歳以上を対象にした2泊3日の東京旅行ツアーには、71人が参加することになった。発起人は、黒木定藏村長。これまで村を支えてきたご長寿のために何か親孝行はできないかと考え、思いついたのがこのツアーだ。
事業の予算は、1000万円。1人あたりの自己負担は2万5千円で、残り費用は、村有林を売却して賄うことに。お江戸見物ツアーは、ご長寿に人気の箱根や皇居、靖国神社、横浜中華街などを見学。およそ3割が初めての東京旅行ということもあり、おじいちゃん、おばあちゃんは、西米良と東京とのギャップに驚きの連続。そして、びっくりするようなハプニングも!
参加者の中には、新婚旅行以来50年ぶりの東京旅行に心躍らすご夫婦や、1年前に亡くなった妻のために靖国神社への参拝を果たそうとするおじいちゃん、結婚生活62年、これが最後の旅行と胸を膨らますご夫婦も…。番組では、おじいちゃん、おばあちゃんの笑いあり、涙あり、そして感動の72時間に完全密着した。

【制作】
MRT宮崎放送

#48「嗚呼!青春 宮崎応援団物語」

 #48「嗚呼!青春 宮崎応援団物語」

2017年04月29日放送
宮崎市内にある四つの県立普通高校。県内有数の進学校で、学業もスポーツも常にライバルです。この四校が毎年、春に一堂に集まり、熱戦を繰り広げる伝統の野球大会があります。その名も“四校定期戦”。試合は白熱し、とことん盛り上がります。その原動力の一つとなっているのが、各学校の応援団。母校を勝利へ導こうと個性溢れる応援で野球部を鼓舞します。宮崎大宮、宮崎南、宮崎西、宮崎北。各校の応援団に共通しているのが、「団員不足…」という悩み。そこで、応援団は、四校定期戦の為に、入学してきたばかりの一年生の中から臨時応援団を募集します。あくまでも、臨時であり正式団員ではありません。率先して入団する新入生はごく少数。そのほとんどが、じゃんけんなどで負けてしまった生徒たちです。こうした中、始まる練習。早々に、気分を悪くする生徒や鼻血を出す生徒が…。また、部員が集まらず、廃部の危機に直面している学校も…。それぞれ葛藤し、もがき苦しみながら練習を続ける応援団。何が彼らを動かしているのでしょうか? そこには人間として大切なこと、成長へと導くマニュアルがしっかり組み込まれています。何にでもすぐに手に入る時代に生きる高校生たち。しかし、苦労して手に入れたものこそが、人生においては、役に立つことがあります。厳しい練習に耐え忍んで頑張る姿、練習によって結ばれていく先輩と後輩の絆。大会までの10日間、すべてを忘れて応援に打ち込む高校生たちの青春の1ページを追いました。

【制作】
MRT宮崎放送

#47「そうめん地蔵」

#47「そうめん地蔵」

2017年04月22日放送
長崎市飯香浦町(いかのうらまち)。 
長崎市太田尾町(おおたおまち)。 
長崎市の東南、天草灘に面する2つの町で、毎年7月23日~24日に行われている地蔵さまの誕生会、「地蔵まつり」。2つの町は隣町。それぞれの町にある“地蔵さま”は、兄弟だとも、姉妹だとも言われています。特徴は「飾りそうめん」と呼ばれているお供え物です。特別に注文した2m(飯香浦)、3.3m(太田尾)もの、長~い生そうめんを使って、それは見事な兜(かぶと)や幔幕(まんまく)、人型を編み上げるのです。小麦の産地でもないこの地区でなぜ「そうめん」? …なんでも、そうめんは地蔵さまの大好物なのだとか。家内安全、無病息災、豊作祈願を込めて行われる飾りそうめん作りは、扉をしめ切った熱気むせ返る真夏の室内で、地区のお年寄りたちが全身汗だくだくの湯気を立ち昇らせながら守り、伝えてきました。「なんともうーほほうおーほほうーおー…」意味不明な念仏もまた、口伝えで世代を超え、今に響きます。海と山に挟まれた小さな小さな集落の「地蔵まつり 飾りそうめん」。静かな誕生日のお祝いです。

【制作】
NBC長崎放送

#46「さくら~なぜ日本人は桜に惹かれるのか」

#46「さくら~なぜ日本人は桜に惹かれるのか」

2017年04月15日放送
岡山県北、真庭市の小高い丘に推定樹齢が千年と言われる一本桜が立っている。『醍醐桜』。威風堂々とした姿は見る人の心を惹きつける。里に暮らす人たちは、醍醐桜を「宝の木」と口をそろえる。かつては桜を暦に、稲の苗を植えたり、花の咲きっぷりで、その年の豊凶作を占ったという。満開の樹の下では花見、酒も酌み交わされた。今も、この山里の暮らしを見守り続けている。翻って…。『桜』は、さらに日本人の心の奥深い所に咲いている。かつて武士がめでたという桜の散る様は、後に戦没者にも重ねられた。また、「さいた さいた さくらが さいた」。日本の初等教育も桜で始まった。 日本人の心に深く根ざした存在としての『桜』。その魅力に迫る。

【制作】
RSK山陽放送

#45「どうかね,好きかね,元気かね ~嘉年小最後の1年」

#45「どうかね,好きかね,元気かね ~嘉年小最後の1年」

2017年04月01日放送
2016年3月、明治時代に開校した山あいの小学校が歴史の幕を閉じた。中国山地に囲まれた山口市阿東(あとう)地区の嘉年(かね)小学校は、市内で最も児童数の少ない小学校である。児童は6年生の田中千尋さんと3年生の栗田真帆さんの2人。田中さんの卒業を最後に学校は閉校となる。嘉年小には20年以上続く伝統行事がある。その一つが春に種をまいて育てたケナフという植物の繊維を自分たちですいた卒業証書だ。収穫し、皮をはぎ、煮込む…時間と手間がかかる作業を繰り返し、親子で卒業証書作りに取り組む。ケナフの栽培も含め、学校の行事には地域の人たちが積極的に参加してきた。最後の運動会も、2人と一緒になって楽しんだ。2人の児童の姿を1年間見つめ、2人の成長と地域の人たちの学校への思いをつづる。

【制作】
TYSテレビ山口

#44「自主避難者はどこへ ~迫られる「帰還」か「定住」か」

#44「自主避難者はどこへ ~迫られる「帰還」か「定住」か」

2017年03月25日放送
東日本大震災とそれにともなう原発事故から丸6年。今月末で、国が設定した避難指示区域外から避難している“自主避難者”への住宅無償提供が終了する。これにより自主避難者は「帰還」か「定住」かの選択を、否応なく迫られる。国や福島県は、避難指示区域外は放射線量も低く、「避難する状況にない」とするが、本当にそうなのか。「このままでは避難者が消去され、原発事故がなかったことにされてしまう」・・・被災地から日本各地に離散した自主避難者を訪ね、早期の避難終了へのさまざまな思いと、制度の問題点について考える。

【制作】
MBS毎日放送

#43「田舎からニッポンを変える~棚田村の挑戦者たち」

#43「田舎からニッポンを変える~棚田村の挑戦者たち」

2017年03月18日放送
岡山県美作市の上山、かつては8300枚の規模を誇る美しい棚田村だった。しかし中山間地域を襲った過疎高齢化の波により、その風景は失われてしまう。今、この田舎でかつての風景を復活させようと取り組む若者たちがいる。英田上山棚田団、そして美作市地域起こし協力隊の若者たちだ。山を焼き払い、そこには梅の木を植えるという。夏祭りを復活させ、アジア諸国でなじみの「天灯」を上げる。棚田でセグウェイを走らせようと意気込むメンバーもいる。それは単なる耕作放棄地の再生ではない。田舎にこそニッポンの未来像があると考え、棚田村を再創造しているリアルな姿だ。都会から若者たちが集っての田植え、稲刈り・・・。農業に可能性を感じる若者たちの姿がある。そして迎えた冬、今度は新しい林業への挑戦だ。放置するほかなかった間伐材でのエネルギー自給構想、さらに田畑を荒らすため害獣とされる鹿も日々の糧に。そして春、新しい仲間と共に見る新たな夢・・・。田舎からニッポンの未来像を描く!そんな棚田村の挑戦者たちの1年に密着した。

・「2013年日本民間放送連盟賞」
 テレビ教養番組部門・中四国最優秀賞受賞

【制作】
RSK山陽放送

サタデードキュメントスペシャル
#42「震災から6年~風の彼方に」

サタデードキュメントスペシャル<br>#42「震災から6年~風の彼方に」

2017年03月11日放送
10:00~11:24
あの日から6年。
ナビゲーター・中村雅俊はこの間、精力的に被災地を巡ってきた。
古里の宮城・女川町も津波で壊滅する中、
復興の応援で、取材で、支援のコンサートで…そこで出会ったたくさんの被災者の方々。
その中には、たくさんの子どもたちもいました。

〝あの子供たちにとって、6年の月日はどんなものだったのだろうか“

震災と原発事故、津波で家族や友人の命が奪われた子供たち。
避難生活の中で“日常”や“命”が当たり前ではないことに気づき、
生きている意味を考えるようになった子供たち。
現実を受け止めきれず心のバランスを崩した子供たち…。

中村雅俊が復興支援のなかで出会った子どもたちに会うため、三陸を縦断します。

“風評”“風化”など様々な逆風を受けつつ、たくましくなったあの日の子どもたち。
彼らの瞳は、風の彼方に、今なにを見つめているのでしょうか。

【制作】BS-TBS

#41「生きて“カエル”~海軍士官が残した書」

#41「生きて“カエル”~海軍士官が残した書」

2017年03月04日放送
太平洋戦争開戦直後の1941年12月下旬。 別府市の料亭「なるみ」に海軍の隊員たちが集まった。真珠湾攻撃の祝勝会だった。 この祝勝会には、第一撃を投下したとされる高橋赫一海軍少佐らが参加。 このとき、料亭の亭主にお礼として、機密だった真珠湾の写真をひそかに手渡した。 その写真とともに残したのが、「一撃必中」と書かれた書であった。これ以降、なるみを訪れた海軍士官らは料亭に書を残すようになり、1944年末までに300人以上の隊員の書が残されている。 「必中」や「撃沈」など威勢のいい言葉が並んでいるが、中には文字では表せない隊員の思いを描いたものもある。それは「カエル」の絵。生きてふるさとに戻ることを絵に表したとされ、当時は、決して言葉にはできなかった思いを描いていると推察される。 料亭に残された書を通じて、当時の隊員の思いを伝える。

【制作】
OBS大分放送

#40「8月6日の切符~あの日列車が走った」

#40「8月6日の切符~あの日列車が走った」

2017年02月25日放送
原爆が投下されたその日、傷ついた人たちを乗せて、列車が走った。
その列車がつないだ命…一方で混乱は遠く離れた場所にも広がった。

原爆資料館にある1枚の切符、日付けは昭和20年8月6日。前日、父は妻と娘のために、入手困難だった切符を手渡した。被爆後、行方が分からなくなった父…切符は、あの日の記憶と、家族のある物語を伝える。

3人の国鉄マンは被爆者たちを救おうと奮闘していた。負傷者を安全な場所へ…。襲いかかる炎を抜けて列車は走った。列車によって多くの命がつながった一方で、原爆による混乱は、壊滅した広島市街地から遠く離れた郊外にも広がっていくことになる。

1945年8月6日、広島と外の世界をつないだ列車をめぐる物語を、関係者の証言や残された資料から掘り起こす。

【制作】
RCC中国放送

#39「自衛官とその家族~戦後71年目の夏に」

#39「自衛官とその家族~戦後71年目の夏に」

2017年02月18日放送
「日本国憲法及び法令を遵守し」
「事に臨んでは危険を顧みず」
「もって国民の負託にこたえることを誓います」(自衛官<服務の宣誓>から)

敗戦後、米軍主導のもと日本の再軍備は進められました。「日陰者であれ」と言われた自衛隊は、永く平和を築く中で9割の国民に支持されるまでになりました。隔世の感を禁じえない、自衛隊を古くから知る人たちは言います。2016年3月、歴史の節目となる新しい安全保障法制が施行。そして秋には陸上自衛隊で新任務がスタートしました。一方で集団的自衛権の行使が一部可能になるのに自衛官を守る法整備は遅れているとの声も上がります。この点は国会でも議論が尽されていません。現場を支える自衛官の素顔に光が当てられることも少なく、家族の生の声も聞こえてきません。「あえて発言することは、いささか無意味なこと。何故なら、彼らは言葉ではなく行動をもって事に立ち向かわねばならないから」そう語る元幹部もいました。が、彼らのいまの姿は、戦後ともに歩んできた国民の姿でもあるはずです。そんな自衛隊に私たちは何を願うのか。ある自衛官の日常の姿に迫り、家族の声に耳を傾けて、自衛隊がこれまで歩んできた道のりが「安保」でどう変わり、未来へ向かうのかを考えます。

【制作】
MBS毎日放送

#38「路の途中~なつかしゃの歌を探して」

#38「路の途中~なつかしゃの歌を探して」

2017年02月11日放送
“地上で最も優しい歌声”

インパクトのあるキャッチフレーズで2006年にメジャーデビューした中孝介。奄美出身の実力派シンガーは去年デビュー10周年を迎えました。裏声を駆使した優しく切ない歌声。そのルーツは、奄美の民謡・島唄にあります。中孝介は、奄美で若手唄者として活躍した後、スカウトされ、ポップスデビューを果たしました。代表曲「花」はCMにも起用され、全国区になりました。また、同郷の先輩・元ちとせとのユニットで九州新幹線開業のテーマソングを歌うなど、鹿児島でも人気者です。海外での評価も高く、特に台湾で大ヒット映画に出演したこともあり、中華圏では「島歌王子」と呼ばれ熱狂的なファンを持ちます。彼が一貫して歌に込めている思いがあります。「なつかしゃ」。奄美の方言で「琴線に触れる」という意味です。島唄を唄う時、島のおじぃやおばぁたちはいつもそう言って喜んでくれました。活動の拠点は変わっても、故郷への思いは変わることはありません。MBC南日本放送はデビュー前からその音楽活動を取材してきました。デビュー10年目という節目となった2016年は、初のベストアルバムリリースや中国大陸ツアー、そしてふるさと奄美でのコンサートなど、精力的な活動に密着。MBCだけの貴重な映像で10年の軌跡をたどりつつ、シンガー・中孝介の魅力に迫ります。

【制作】
MBC南日本放送

#37「田んぼのごはん~野外保育のくじら雲」

#37「田んぼのごはん~野外保育のくじら雲」

2017年02月04日放送
安曇野市で野外保育に取り組むNPO法人「響育の山里くじら雲」の1年に密着。自然の中でのびのびと過ごす20人余りの子供たちは、毎年田んぼで自分たちが食べる米づくりに励んでいる。機械化が進んだ現代では珍しく、春に苗を植えるのも秋に稲穂を刈り取るのも、すべて手作業で行っている。はじめは不慣れで長続きしない子供たちも、同じ作業を毎年繰り返す中で、田んぼに入る感触を体で覚え、作物を収穫することの意味を感じ取っていく。活動のベースには、くじら雲の代表で保育士の依田敬子さんの深い思いがある。依田さんは、子どもたちが自ら生きる力を育んでいける環境を用意することを第一に考え、日々の保育の中で地域に伝わる昔ながらの生活を体験することを大切にしている。いま、子どもたちの育ちに本当に必要なものとは何なのか…。米づくりを中心に、くじら雲の活動を通じて考える。

【制作】
SBC信越放送

#36「クスノキからの贈り物~香りの宝石・樟脳を守る」

#36「クスノキからの贈り物~香りの宝石・樟脳を守る」

2017年01月28日放送
「樟脳(しょうのう)」をご存知ですか? 樟脳は樟(くすのき)をチップにして蒸留し冷やして出来た結晶で、防虫剤のほか、防腐剤・香料・強心剤として用いられてきました。香りのよさとノンケミカルな安心感で近年見直されています。江戸の出島貿易の頃から昭和の初めまで、日本は樟脳の一大輸出国でした。しかし合成樟脳(ナフタリン)の出現などにより天然樟脳は廃れ、代々続く樟脳屋は日本でただ一軒、福岡県みやま市の「内野樟脳」だけになりました。その「内野樟脳」も2010年に4代目のご主人が亡くなり、廃業の危機をむかえました。それを救おうと、地元有志で作る「天然樟脳を守る会」が、妻の内野和代さんをボランティアで支え、製造を続けています。福岡県も「ちくご元気計画」というプロジェクトの下、内野樟脳が自力で続くよう、人件費捻出などを念頭に置いて商品価格の見直しや新パッケージ作りを支援しています。番組では、樟を余すところなく使い切る先人の知恵を紹介するとともに、夫亡き後、歴史を重く感じながらも歩んでいこうとする和代さんと、樟脳の良さを再発見し広めていこうとする「守る会」「元気計画」の奮闘を描きます。絶滅寸前、国産天然樟脳は守れるか…!

【制作】
RKB毎日放送

#35「里の時間~縁側で待つ人たち」

#35「里の時間~縁側で待つ人たち」

2017年01月21日放送
かつては林業で栄えた、静岡県浜松市天竜地区春野町は、いわば「限界集落」を抱える山里。こうした集落を毎日、日替わりで回るのが「便利屋!猿ちゃん」の移動販売車。猿田光里さん(70=当時)はお年寄りの世帯を回り、日用品や食料品を届けます。スーパーもコンビニもない地域で、週に一度やってくる猿田さんはライフラインです。縁側での店開きに加えて、楽しみなのが猿田さんと交わす何気ない会話。お年寄りにとって、猿田さんは物を届けてくれるだけの存在ではありません。移動販売を始めて10年あまり。猿田さんは40人以上のお客さんの死に向き合いました。山での「最期の生き方」に向き合い、静かに年を重ねる人々の日常を通して、幸せとは何かを考えます。

・「第40回JNNネットワーク協議会賞」報道・ドキュメンタリ番組 奨励賞受賞

【制作】
SBS静岡放送

#34「ふたり、時々、無人島」

#34「ふたり、時々、無人島」

2017年01月14日放送
その島は、長崎県五島市福江沖の南に浮かんでいます。面積は12平方キロの小さな島、名前を黒島と言います。島に暮らすのは母親の山中ヨネさんと娘の山中マサ子さん…たったふたりです。全国で一番島が多い長崎。おそらく、黒島は無人島に一番近い島です。 子だくさんの家が多く、ピーク時の人口は200人を超えていました。けれど人口は減り続け、今では親子ふたりきり。ゆっくり時間が流れ、何も変化のない暮らし。ヨネさんの日課は散歩です。40軒ほどの民家の間を散歩しますが、ちょっと普通と違うのは車に注意する必要もなくて、人にすれ違うこともないことです。マサ子さんは大病をし、数年前嫁ぎ先から戻ってきました。少し体を動かすのがおっくう。食料は週に一度、定期船で富江に仕入れに出かけますが、出来あいのものが中心です。その日は町の食堂で食事もします。小さな楽しみです。 そして、この火曜日の数時間、島は無人島になるのです。朽ち果てていく小学校の跡、まだ人が暮らしていそうな民家。お墓に続く道だけは、今もきれいなまま、誰かがそなえたお花があります。ふたり、時々、無人島…ふたりだけの島の暮らしを見つめます。
 
【制作】
NBC長崎放送

#33「鶴と亀とオレ」

#33「鶴と亀とオレ」

2017年01月07日放送
長野県飯山市に、お年寄りの写真を撮影してフリーペーパーにまとめている一風変わった若者がいる。フリーのカメラマンで編集者の小林直博さんだ。3年前、故郷に暮らすお年寄りを撮影し「鶴と亀」というフリーペーパーを発行した。農作業に励むおじいちゃんやカメラの前ではにかむおばあちゃんなど、普通のお年寄りの写真を並べたものだが東京など都会を中心に「じいちゃん、ばあちゃんがスタイリッシュでイケてる!」と話題に。品切れ店が続出し、フリーペーパーを専門に扱う書店の優秀作品ランキングでは、全国で数万あるといわれるフリーペーパーの中で10位にランクインした。小林さんは「じいちゃんばあちゃんはかっこいい」という。お年寄りのファッションや生き方が、大好きなヒップホップやストリートカルチャーに近いというのだ。スクーターにまたがって、お年寄りを見つければ構わず寄っていってカメラを構える小林さん、楽しく会話しながら自然な表情をカメラに収める。番組では、小林さんの活動に密着し、「鶴と亀」にかける思いを描くとともにと、お年寄りとの不思議な関係を追う。

・「2016年日本民間放送連盟賞」
 テレビエンターテインメント番組 最優秀賞受賞

【制作】
SBC信越放送

#32「みんな龍になった」

#32「みんな龍になった」

2016年12月24日放送
長崎くんち、諏訪町の龍踊。大龍を操る龍方は43人、うち17人は新人です。子龍・囃子の子供たちに町の人・総勢250人が、涙の猛稽古を乗り越え、みんな龍になって燃え尽きました。諏訪町129年目の龍踊に密着取材した迫真のドキュメンタリー。

【制作】
NBC長崎放送

#31「声ふたたび~声帯を失っても歌いたい」

#31「声ふたたび~声帯を失っても歌いたい」

2016年12月10日放送
喉頭がんなどの病気が原因で声帯を摘出し、声を失った男性がいる。元の通りの声は、もう出ない。それでも食道発声と呼ばれる方法で「第2の声」を獲得。仕事にも復帰した。時にはカラオケも楽しむ。人間は言葉を介してお互いの気持ちを通い合わせている。しかし声帯を摘出した人は声による意思疎通が思うようにならない。そんな悩みを持つ人を助けようと、食道発声の訓練を週1回開くグループがある。グループの名前は「新声会」。カラオケを楽しんでいた男性も、新声会のメンバーの1人。第2の声で話して、歌えるようにと活動する様子に密着した。

【制作】
RSK山陽放送

#30「最北の海女~石山ヨネ子、81歳の磯笛」

#30「最北の海女~石山ヨネ子、81歳の磯笛」

2016年12月03日放送
北海道松前町に、日本最北の海女がいる。石山ヨネ子さん。私たちが初めて取材したときは79歳。7月末になると松前沖の小さな無人島・松前小島で昆布を取る。海底の昆布めがけて船べりを蹴り、手にした鎌で根元から刈っていく。颯爽と潜る姿は、人魚を思わせる。間近で撮影していた水中カメラマンが思わず驚きの声を上げるほど圧巻だ。潜る合間に吹くのが「磯笛」。海人の伝統的な呼吸法だ。ピューッと高い音がする。「磯笛を吹くと胸の奥がさっぱりして体も楽になる」と話すが、その音色にはどこか物悲しい響きがある。ヨネ子さんは、海女の町として知られる石川県能登半島・輪島の出身だ。戦後、松前小島には輪島からたくさんの海女が出稼ぎに来た。松前の漁協から「海底の昆布を取って欲しい」と要請があったからだ。彼女たちは冷たい北の海に果敢に挑んでいった。しかしスキューバダイビングが普及し、地元の漁師が潜
るようになると、輪島からの出稼ぎにも終止符が打たれる。松前の漁師と結婚した海女に限り、その後も潜り続けることを認められた。4人いたが、一昔前からヨネ子さんだけになった。その松前最後の海女に、2014年の秋、最大の危機が訪れた。左腕を骨折してしまったのだ。漁期も半ば、ヨネ子さんは悔しがる。潜る母親を船の上からサポートしていた次男は、母親の引退を覚悟し、一人、使い慣れない漁具を手に松前小島に向かう。その岸壁で、次男が口にした苦悩とは…。石山ヨネ子さんの海に生きる日々を、圧倒的な水中映像で描く。79歳から81歳まで苦悩の2年間に寄り添った人間ドキュメント。

【制作】
HBC北海道放送

#29「うたのちから~人生楽しく生きナイト」

#29「うたのちから~人生楽しく生きナイト」

2016年11月26日放送
近頃、通勤ラッシュの時間帯によく見かけるようになった路地を巡るワゴン車。デイサービスセンターの送迎車だ。その数は全国で4万を超え、コンビニエンスストアの店舗数に迫る。藤枝市のデイサービスセンター「よつ葉のクローバー」は音楽療法を取り入れている。利用するお年寄りのうち8割以上が認知症で、全国でその数は約462万人。介護職員の伊藤里紗さんと藤田恵梨奈さんは短大の音楽科を卒業後、「ぼけ
ナイト」という音楽ユニットを結成し、昭和歌謡を通じて認知症予防の活動をしている。認知症になると笑顔が少なくなると言われており、数分後には何をしたか忘れてしまう人がほとんどだが、2人は公演中「1分1秒を笑って過ごして欲しい」という思いで活動を続けている。認知症は人それぞれ症状が異なるのが特徴だが、誰もが共通する昭和歌謡を通じて、お年寄りが明るく前向きに生きようとする姿と現代病とも言える認
知症に笑顔で立ち向かう20代の介護職員とお年寄りを追った。

【制作】
SBS静岡放送

#28「俺たち男子新体操部」

#28「俺たち男子新体操部」

2016年11月19日放送
長野東高校(長野市)にある男子新体操部は、やまびこ国体を目指して、創部40年近い歴史を誇ります。男子新体操は、全国でも競技人口の少ないマイナー競技で、かつては県内の他の高校にも男子の新体操部がありましたが、今では長野東高校が唯一です。長野東高校は創部以来、部員が途絶えることなく、団体では30回もインターハイに出場していて、これまでの活動は、環境面からすると「奇跡」と言えるほどなのです。ところが2014年春の段階で、部員は3年生と2年生を合わせて5人だけ。団体戦は6人競技で、人数が少なければ、その分減点されてしまいます。新入部員は、全員新体操経験なし。減点覚悟で5人で臨むか、1年生を入れて6人で挑むか、という基本中の基本から始まり、悩みは尽きません。最後のインターハイを新体操の聖地・東京の代々木体育館で迎える3年生は、熱い思いを胸に練習を続けてきました。6人目のメンバーに抜擢された1年生は、悪戦苦闘の日々が続きます。全国の強豪チームが見せる華麗な技とチームワークを前に、彼らはどのような演技を見せるのか。新体操にひたむきに挑み続ける男子高校生たちの泣き笑いの青春ドキュメンタリーです。
   
【制作】
SBC信越放送

#27「人生でっかく! カボチャおやじ奮闘記」

#27「人生でっかく! カボチャおやじ奮闘記」

2016年11月12日放送
毎年秋、清里・清泉寮で行われる「八ヶ岳カンティフェア」20年前ハロウィン用のカボチャを展示すると、多くの子供たちが興味を示します。カボチャと一緒に写真を撮ったり、大きなカボチャに乗っかったり…その喜ぶ顔が忘れられなかったからだと言います…。それ以来“カボチャおやじ”毎年たくさんのカボチャを展示しています“自分にも人にも感動を与えることが出来るカボチャが大好き”ロマンティックなおやじです。

▼人生は自由にそして楽しく、そして勝たなきゃ…
“カボチャおやじ”の家族はお父さんにお母さん・奥さんと娘夫婦に孫3人の賑やかな9人!そんな大家族の大黒柱“カボチャおやじ”実は9年前には大きな決断をしました…もともと全農山梨の職員でしたが、57歳の役職定年を待たず56歳で会社を辞めました。そして本格的に農業を始めるために退職金でトマトのビニールハウスを建てます。なぜ?サラリーマン生活が終わった後の余生を考えた時“自分のやりたいこと楽しみながら自由にやりたい”そんな想いが強かったからだと言います。

▼勝つことが大好き
本業はトマト栽培、米・カボチャを作りながらなんと綱引チームの監督もしています。こんな“カボチャおやじ”が2012年「日本一どでカボチャ大会」へチャレンジする姿を半年間追いかけました。種まきからカボチャが成長していく過程。その中で見せる“カボチャおやじ”の素顔は生きる楽しさや意味、そして老後のヒントになるのではないかと思います。
最後はチャンピオンになれるのか?ライバルたちとの触れ合いも交えながら描いていきます。

“カボチャおやじ”の奮闘にご期待下さい!

【制作】
UTYテレビ山梨

#26「盲学校をキルギスにも ~竹内先生 新たな支援」

#26「盲学校をキルギスにも ~竹内先生 新たな支援」

2016年10月29日放送
岡山盲学校の講師・竹内昌彦さんは、24年間で2000回もの講演を行ってきた。目が見えず様々な苦難を乗り越えてきた竹内さんの言葉に救われた人たちは数多くいる。そんな竹内さんはいま、遠く離れた中央アジア・キルギスの盲人たちを助けることに全力を注いでいる。まずはキルギスの「視覚障害者リハビリセンター」の設立を支援し、目の見えない多くの人たちの将来を切り拓いた。そして今新たに、手術さえすれば目が見えるようになる子どもたちの支援に動き出したのだ。なぜ日本から遠く離れたキルギスの盲人たちを救うのか…キルギスでの同行取材を通じて、その思いに迫った。

【制作】
RSK山陽放送

#25「春、38度線を越えて ~追憶の北朝鮮 子どもたちの引き揚げ」

#25「春、38度線を越えて ~追憶の北朝鮮 子どもたちの引き揚げ」

2016年10月22日放送
終戦時、外地にいた日本人はおよそ660万人。軍人、軍属を除く300万人余りの民間居留民は、現地住民や進駐してきた連合軍兵士らの報復、襲撃、略奪などを受ける厳しい状況の中、必死の思いで祖国をめざすことになった。しかもその大半はお年寄りや女性、子供たちだった。同じ朝鮮半島からの引き揚げでも38度線を挟んで、北と南では大きく運命が別れた。アメリカ軍が進駐した38度線より南の、現在の韓国地域からの引き揚げは、比較的順調に、早期に完了したが、一方、ソ連軍が進駐した現在の北朝鮮地域からの引き揚げは、困難を極めた。ソ連軍による女性たちへの暴行、略奪。現地の保安隊による検問。さらに厳しい寒さと飢え、伝染病の蔓延。親に手をひかれ、あるいは小さな兄弟たちの手を引いて逃げまどった子どもたち。その幼いまなざしの前でも、容赦なくそうした極限の状況は展開された。38度線を越え、懸命に祖国を目指した少年、少女たち。その生きるための闘いを振り返り、引き揚げから70年を超えた今の思いを語る。

【制作】
RKB毎日放送

#24「ふつうのままで ~ある障害者夫婦の日常」

#24「ふつうのままで ~ある障害者夫婦の日常」

2016年10月15日放送
番組の主人公、藤本さん夫婦はともに脳性マヒで、学校にも行かせてもらえずに家にこもったままの青春時代を送りました。社会との断絶を余儀なくされたのです。しかし二人は親の反対を押し切って結婚、男の子をもうけます。これを機に、まわりのママさんたちが自然と二人の世話をするようになり、近くの大学生や高校生も力になりたいと大きな「輪」ができました。障がい者と健常者、その間には一切の溝も壁もありませんでした。
・「第27回国際エミー賞」
ドキュメンタリー部門最優秀賞 受賞

【制作】
MBS毎日放送

#23「うちの子 ~自閉症という障害を持って」

#23「うちの子 ~自閉症という障害を持って」

2016年10月08日放送
私(神戸ディレクター)の長男(6歳=当時)は、自閉症という障害を持っている。自閉症は、先天的な脳の機能障害で、新生児100人に1人以上も生まれてくる。これほど多いのに、自閉症という名が「自ら閉じこもる」と書くためか、「引きこもり」や「引っ込み思案」と混同されているのが実情だ。自閉症の大きな特徴は、①社会性の遅れ②こだわり行動③コミュニケーション障害の3つ。3歳児検診で診断されることが多いが、言葉が話せる場合は発見がもっと遅れる。コミュニケーションに問題があるため、微妙に会話がかみ合わなかったり、かんしゃく(パニック)を起こしたりするので、学校でいじめの対象になることも多い。外見では障害の存在が分かりにくいため、「しつけがなっていない」という社会の目に苦しみ、将来を悲観し無理心中する母親もいる。この悲しい事実は、あまり知られていない。メディアも警察も障害の本質を理解していないため、過剰な配慮をして、報道・広報しようとしないからだ。番組は、無理心中の現場を探し出して、残され苦しむ遺族の話を聞いて歩いた。
また、時に芸術的な才能を見せる軽度の自閉症の青年が、世間の荒波にもまれ失業しながらも、再就職を果たしていくさまや、重度の自閉症を持っている息子と懸命に生きる母親の心情を取材した。障害にさえぎられ、親ともうまく意思疎通できないけれども、大きな母親の包容力によって、子供はゆっくりと、しかし確かに成長していくのだ。
・「第30回JNNネットワーク協議会賞」ネットワーク大賞 受賞

【制作】
RKB毎日放送

#22「世界の大波へ ~種子島と奄美大島からの挑戦」

#22「世界の大波へ ~種子島と奄美大島からの挑戦」

2016年10月01日放送
日本人がまだ到達したことのない世界。サーファーの最高峰、ワールドチャンピオンシップツアー。そんな世界に鹿児島の若者が挑戦しています。一人は種子島のプロサーファー須田那月選手。もう一人は奄美大島の牧野大智選手。家族の支えを受けながら好きなサーフィンに集中。世界一を目指し、ひたむきに戦う姿を伝えます。

【制作】
MBC南日本放送

#21「われらは八瀬童子〜悠久の山里に生きる人々」

#21「われらは八瀬童子〜悠久の山里に生きる人々」

2016年09月17日放送
京都・比叡山の麓に住む玉川勝太郎さんは「八瀬童子」と呼ばれるひとりです。八瀬童子は皇室との関わりが長く、天皇の大礼や大喪では輿・棺を担いだこともあります。玉川さんも昭和天皇の大喪の礼に参列しました。独自の歴史と伝統を担ってきた「八瀬童子」の人々は、結束が固く、その実像は長く明らかにされてきませんでしたが、旧住民が次第に減る一方で、都心からやって来た新住民の割合も増えつつあります。変貌する山里にとまどいながら、地域に根ざした歴史を守ろうと奮闘する「八瀬童子」の人々を追いました。

【制作】
MBS毎日放送

#20「花の咲くとき~こどもホスピスの3か月」

#20「花の咲くとき~こどもホスピスの3か月」

2016年09月10日放送
大阪市東淀川区の淀川キリスト教病院にある、全国で初めての「こどもホスピス」。わたしたちがそこで出会ったのが、2歳の咲乃ちゃんでした。咲乃ちゃんは超未熟児で生まれました。ご両親は「花が咲くように笑顔あふれる女の子になってほしい」との思いから名づけました。その願いが通じたのか、彼女はゆっくりと着実に成長をしていきました。しかし、1歳を過ぎたころ肝臓のがんと難病であることがわかったのです。がんと難病の同時治療は過酷をきわめ、両親の目の前で1歳の女の子は笑顔を失っていきました。このままだと苦痛しか知らないで人生が終ってしまう。悩み、葛藤する両親。そして決断を下しました。もう一度、花が咲くような笑顔がみたい。治療を止めて咲乃ちゃんと一緒に過ごしたい…。こどもホスピスでの日々が始まると、幼いいとこが訪ねてきました。一緒におもちゃで遊ぶ咲乃ちゃん。おじいちゃんのお誕生パーティもここで開くことができました。そして桜の季節が近づいてきました。医師から聞く病状は楽観できるものではありません。満開に咲くお花をみせてあげたい、きれいなドレスを着て。両親とホスピスのスタッフの願いは叶うのか、取材チームも祈るような気持ちで今年の4月を迎えました。2か月余りの取材を通して、「こどもホスピス」が果たす役割について考えます。

【制作】
MBS毎日放送

#19「農ガール☆かなやん ~わたしの居場所・希望集落」

#19「農ガール☆かなやん ~わたしの居場所・希望集落」

2016年09月03日放送
香川県出身で東京の大学を卒業した坂下可奈子さんが新潟県十日町市の池谷集落に移り住んだのは2011年(2月)のことです。人と人との繋がりを何よりも大切にし、集落の人々に支えられながら懸命に初めての農業に取り組んでいます。池谷集落は都会との交流を活発に行うことで、少しずつ若者が移住しはじめ、「希望集落」と呼ばれるようになりました。これまで男性主体と言われてきた農業の世界で、女性が活躍できる場になればと活動を進めています。結婚しても、出産しても本当に農業を続けることができるのか。坂下さんを通して中山間地の農業の実態と、女性農業者の在り方を考えます。

【制作】
BSN新潟放送

#18「漁師町のそば屋」

#18「漁師町のそば屋」

2016年08月27日放送
古くからの漁師町、愛知県南知多町豊浜。この町に古民家を利用した、一軒のそば屋がある。おろしそばが評判の「ともゑ庵」。オーナーの石黒さんと、妻・悦子さんは、共に離婚、それぞれの家族を壊し、子どもを捨てて、この町で所帯を持った。そこにやって来たのは、捨てたはずの悦子さんの長男・智也さん。お店では、そば打ちを担当している。智也さんも2度の離婚を経験、子どもを捨てて、この地に来た。非常に複雑に見える家族環境の中に、現代の「新しい家族像」を模索する。

【制作】
CBCテレビ

#17「珊瑚の海深く~沈没船が伝える戦争」

#17「珊瑚の海深く~沈没船が伝える戦争」

2016年08月20日放送
"楽園"と呼ばれる太平洋・パラオなどの海底には多くの輸送船が眠っている。太平洋戦争で日本軍は、燃料となる油や兵士、軍事物資を運ぶために、多くの民間の輸送船を徴用した。だが、十分な護衛をつけることができなかったため、連合軍の格好の標的となって沈んでいったからだ。
番組では、太平洋に今も沈んだままとなっている日本の輸送船の姿を水中でとらえた。そして、無残な姿で海底に横たわる船から、積み込まれていた油や化学物質が漏れ出していることが分かった。戦後70年が経った今、沈没船が深刻な環境汚染を引き起こす要因となる実態が浮かび上がってきた。
太平洋戦争で海に消えた船員らの遺骨は、ほとんどが遺族のもとには戻っておらず、どこでどのように戦死したのか不明な点も多い。そのような中、パラオ大空襲で沈んだ『日本の船』を新たに発見した。どういう船だったのか、その正体を解き明かし、遺族と共に船が沈んだパラオの海に向かった。遺族は、海の底に沈む船を見て何を思うのだろうか?
"楽園"の海に横たわる沈没船は何を訴えかけているのか?民間人である多くの船員が犠牲となったあの戦争に迫る。

【制作】
RKB毎日放送

#16 「千二百年!先祖物語」

#16 「千二百年!先祖物語」

2016年08月13日放送
貴方は御先祖様の事を、どれだけ知っていますか?
今から61年前、小学4年生だった少年、河北宣正さんは、夏休みの宿題で初めて自分のルーツを調べて、驚いた!脈々と続く家の歴史、その子孫の中には…。今に残る御先祖様の墓の数は、なんと120以上!
少年は大人になり、長男ではないのに家を継ぐ事を決意する。清らかな水に恵まれ、のどかな田園風景や果樹園が広がる福岡県うきは市浮羽町山北。江戸から大正時代に建てられた主屋や米蔵・器蔵など木造瓦葺きの8棟は、国の登録有形文化財。今尚当時の姿を残している。家の始まりは、1200年以上前の平安時代。400年前ここ山北の地に移り住み、以来農業に従事して来た。代々の当主は御先祖様に感謝しながら、家の伝統を守る為に春夏秋冬365日、年中行事に明け暮れる日々!決して途絶えさせてはならない、自然と人そして未来への繋がり!そこには、現代社会が忘れつつある御先祖様への思いと脈々と受け継がれて来た真実の物語があった。御先祖様に感謝。

【制作】
RKB毎日放送

#15「神秘の蝶アサギマダラ~2000キロを渡る旅」

#15「神秘の蝶アサギマダラ~2000キロを渡る旅」

2016年08月06日放送
日本列島を縦断する"旅する蝶"アサギマダラ。
アサギマダラは大きさ10センチほどのタテハチョウ科の蝶です。重さは0.5グラムにも満たないほどの体で、なんと春と秋には1000キロから2000キロもの旅をします。世界でも海を越えて大移動する蝶は、アサギマダラしかいません。その愛らしさと科学的好奇心をくすぐる大移動に今、市民レベルでも観察する人々が増えています。
なぜ、アサギマダラは海を越えて旅をするのでしょうか?
番組ではアサギマダラを1年に渡って追跡。栗山千明は、優雅な蝶の乱舞に包まれる島に降り立ちます。心地よい季節の中で大好きな花を求めて全国各地に舞う蝶が人をつなぐ幸せの物語とは?

【制作】
OBS大分放送

#14「ぼくの、メリット」

#14「ぼくの、メリット」

2016年07月23日放送
鹿児島県曽於市に暮らす久永航希くんは、中学生の時に学校に行かなくなりました。家に閉じこもってゲーム三昧、昼夜逆転の生活を送っています。先生が嫌いで、友達との関わりも苦手でした。「同級生から学校に来いよと言われる度、僕が学校に行って皆に何の"メリット"があるのか…」常に感じるのは「自分はいなくても同じ」という空虚感でした。シングルマザーの母親、美代さんは仕事を辞めて悪石島への移住することを決意しました。悪石島は、鹿児島市からフェリーで10時間、人口約70人の小さな島で、独特の風習と共同作業を大切にしています。不登校になった少年が小さな島で踏み出す新たな人生を見つめました。

【制作】
MBC南日本放送

#13「”自主避難”原発事故から5年・真実と風化」

#13「”自主避難”原発事故から5年・真実と風化」

2016年07月16日放送
福島第一原発事故から、まる5年。
放射能に汚染された被災地をはじめ、国内では記憶の風化が進んでいるが、 2月1日現在で県外へ避難している人たちの数は、4万3千人に上る。郡山市から大阪市に避難した森松明希子さんは、夫を福島に残し、 8歳の長男と5歳の長女との3人暮らしを続けている。国と東京電力に賠償を求める裁判を起こし、「風化を感じるからこそ、声を上げ続ける」と、裁判所に通う。福島市で働く荒木田岳さんは、妻と11歳の長男、8歳の長女を新潟市に避難させている。週末に車で3時間以上かけて新潟の家族のもとへ帰るが、「新しい生活を始めようにも、今以上の待遇の仕事が見つけるのは難しい」と語る。ともに強制避難区域外からの"自主避難"のため、東京電力からの賠償金で生活を賄えない。ごく普通の家族をこうした袋小路に追い込んだ国や東京電力は、責任を十分に取っているのだろうか。
二つの家族をとおして、原発事故5年目の真実と風化を問う。
  
【制作】
MBS毎日放送

#12 「消えていく「今」 ~7秒の記憶と生きる」

#12 「消えていく「今」 ~7秒の記憶と生きる」

2016年07月09日放送
『ヘルペス脳炎』の発症率は、100万人に数人。水ぼうそうなどを起こすヘルペスウィルスの一種が、脳に侵入することで発症すると考えられています。
9年前に突然この病にかかった三重県在住の水田順子さんは、その後遺症で、およそ7秒間しか物事を記憶出来なくなりました。短期記憶障害です。母親は、当時を次のように振り返ります。「いつも元気な娘がなんかしょぼ~んとしていた。救急車を呼んで、3時間くらい調べたが、どこも悪くないと言う。脳を診てくれと頼んだ。そしたら脳に菌が入っていて、そこから緊急入院…」
この番組では、ディレクター・カメラマン・音声マンの3人が チームとなって、水田さんの日常に密着しました。はじめ心配したことは、取材許可を頂いても、次に会った時にはスタッフのことを水田さんが思い出してくれるのだろうか?ということです。
しかし、水田さんは、そういうことがないように自分なりに編み出した方法で目の前に起きていること全てを書き留めているのです。そのメモを見ることで、いつ、だれと、どんな状態で、どんな会話をしたのか、確認できると言います。そのメモこそが、「水田さんの記憶」です。
ある日、水田さんは、そのメモと決別しようとします。いったいなぜ?

【制作】
CBCテレビ

#11「廃校はアカン! ~熱血"ホンマちゃん",北星余市高に生きる~」

#11「廃校はアカン! ~熱血"ホンマちゃん",北星余市高に生きる~」

2016年07月02日放送
「ホンマちゃん」こと、本間涼子先生は、北星余市高校3年B組の担任だ。
化粧もファッションも派手。兵庫県出身で「ふざけるな、アホ!」と職員室中に響く大声で生徒を叱る。
ホンマちゃんは、全国から様々な経歴の生徒たちが集まる北星余市高校に惹かれ11年前に着任した。「うっとうしい」と思われるほどの「人間臭さ」で、教育不信の塊だった生徒たちに向きあっている。去年12月。ホンマちゃんら学校関係者は深刻な問題に直面した。「北星余市高校が生徒の減少で廃校を検討」とメディアに報じられたのだ。
少子化に加え、北海道まで子供を送り出す経済的な余裕がない家庭が増えているのが生徒減少の要因だ。新入生が90人を超えないと廃校も。学園の理事会内部で持ち上がった一案に過ぎなかったが、生徒たちは母校を失うのではないかと受け止めた。ホンマちゃんは生徒に訴えた。「この学校は絶対になくしたらアカン。今、アンタらにできることは素敵な人になること。この高校で過ごして良かったと胸を張って言える人間になってほしい」。
3月、ホンマちゃんは「人生で一番嫌いな時間」という卒業式に臨んだ。そして、迎えた新学期、新入生が北星余市の扉を開けた…。

【制作】
HBC北海道放送

#10「魂の激突 ぼうばな ~勝山喧嘩だんじり」

#10「魂の激突 ぼうばな ~勝山喧嘩だんじり」

2016年06月25日放送
岡山県・県北,真庭市勝山地区。この町で江戸時代から180年にわたり受け継がれてきた祭りが「勝山喧嘩だんじり」だ。人口8000人ほどの普段は静かな町だが,毎年10月,町は熱気と興奮の渦に包まれる。
祭りは9台の「だんじり」が1対1でぶつかり合う。「だんじり」の先端では,激しく体当たりを繰り広げる男達「ぼうばな」がいる。「ぼうばな」とは,「だんじり」がぶつかり合ったときに生まれる人一人が入れるわずかなスペースを奪い合う男達の呼び名。「だんじり」の花形で,このポジションには選ばれた者しか立つことができない。「ぼうばな」を通じて伝わってくるもの,それは『人々の絆』と『暖かさ』だった…。

【制作】
RSK山陽放送

#9「長岡花火のキセキ ~白菊とフェニックス」

#9「長岡花火のキセキ ~白菊とフェニックス」

2016年06月18日放送
毎年8月2日・3日、信濃川の河川敷で開かれる長岡花火大会は、スケール感のある豪華な花火で多くの観客を集めている。その花火はただ美しいだけではない。長岡の人々の様々な思いが込められている。その象徴が「白菊」と「フェニックス」だ。
古くから花火大会が盛んだった長岡。太平洋戦争末期、空襲で中心部を焼き尽くされたが、戦後すぐに花火大会を復活させた。戦没者の追悼と戦災からの復興を願ってのものだ。長岡花火を牽引してきたのは花火師の嘉瀬誠次さん。シベリア抑留者であった嘉瀬さんは、シベリアの大地に眠る亡き戦友のため「白菊」という慰霊の花火を、戦後40年以上経つ1990年、当時のソ連・ハバロフスクであげる機会を得る。その「白菊」は、長岡花火の中にも組み込まれ、鎮魂の花火として打ち上げられ続けている。
2004年の中越地震でも長岡市は大きな被害を受けた。その翌年から震災復興花火として新たに「フェニックス」が打ち上げられるようになった。そこには、苦難に立ち向かって懸命に生きていこうとする人々の思いが込められている。
番組では、「花火を見るとなぜか涙がこぼれてくる…」という長岡花火の不思議な力の意味を解き明かしていく。

【受賞歴】
・「第40回JNNネットワーク協議会賞」
 ネットワーク大賞
 エンタテインメント番組 協議会賞

【制作】
BSN新潟放送

#8「盲目の先生 命の授業 ~見えないから見えたもの」

#8「盲目の先生 命の授業 ~見えないから見えたもの」

2016年06月11日放送
岡山県立岡山盲学校の元教頭・竹内昌彦さんは、在職中から20年に渡り全国各地で講演活動を行ってきた。
講演は実に2000回を数える。訴えてきたのは、全盲の自分を支えてくれた両親への思い、幼くして亡くなった長男への思い…。
自らの人生を通じて感じてきた「生きる意味」・「命の尊さ」だ。
そして講演で感銘を受けた人たちが、竹内さんの生き方を多くの人たちに知ってもらおうと、彼の半生を描いた映画化に動き出した。
番組では多くの人の心を動かしてきた竹内さんの講演を通じて、彼の半生を振り返るとともに、映画のタイトルにもなっている『見えないから見えたもの』とは何か、迫っていく。

【受賞歴】
・「2015年 日本民間放送連盟賞」
 特別表彰部門 青少年向け番組 優秀賞 受賞

【制作】
RSK山陽放送

#7「うたは死なず ~かっちゃんとBEGIN」

#7「うたは死なず ~かっちゃんとBEGIN」

2016年06月04日放送
石垣島出身のバンド、BEGINがオキナワンロックのレジェンド「かっちゃん」のCDをプロデュースした。1970年代、派手なパフォーマンスでアメリカ兵達から熱狂的な支持を得たかっちゃん。十八番はハードロックだった。あれから40年余り…。かっちゃんが選んだ今回のCDに録音する楽曲は、意外にもハードロックが流行る前,アメリカの黒人が歌ったリズムアンドブルースのスタンダードだった。若い頃,歌わなかったR&Bをかっちゃんはなぜ選んだのか。BEGINは何故かっちゃんの「うた」を残したいのか。かっちゃんとBEGIN。生まれた場所も育った音楽環境も異なるが,それぞれが生きた「うたの時間」を追いながら,それぞれの想いを聴き,「沖縄」と「音楽」と「うた」を考える。

【受賞歴】
 ・「JNN九州沖縄ドキュメントムーブ 第12回年間作品コンクール」
  優秀賞 受賞

【制作】
RBC琉球放送

#6「タカがすべて! ~父娘で探す鷹匠の明日」

#6「タカがすべて! ~父娘で探す鷹匠の明日」

2016年05月28日放送
鷹を操りカラスやハトなどの害鳥を排除する。
佐賀県武雄市に住む石橋美里さんは、今や全国的にも有名な女性鷹匠。全国放送のテレビ番組でもその活躍が紹介される有名鷹匠だ。鷹匠とはいっても美里さんの場合,日本古来の鷹匠の伝統を継承してきたわけではない。美里さんと鷹との出会いは…。父・秀敏さんがタイのバンコクへ仕事で赴任していたとき,家族で歩いたフリーマーケット。そこで美里さんは,初めて鷹をみて虜になった。帰国して9歳で鷹をペットにし,父の秀敏さんと独学で鷹匠の技法を学んできたのだ。小学生のとき飼った大好きな鷹がハリスホークの『桃太郎』こと桃ちゃん。最初はペットとして飛ばして遊ぶだけだったが,次第に害鳥駆除などの仕事を引き受けるようになった。その桃ちゃんも今は12歳。今では有明海の海苔養殖業者から海苔の新芽を食べるカモの排除やハトの糞害に悩む流通関係の業者からも依頼が殺到し,活躍の場所は佐賀・福岡はもちろん,九州から日本全国へと広がった。成人を迎えた美里さんは,親離れの時期を迎えている。そして,鷹匠の仕事で生活していくことはできるのか…。迷いながら,現代の鷹匠の道を模索する,石橋さん父娘を追った。

【制作】
RKB毎日放送

#5「よみがえる科学者 ~水戸厳と3.11」

#5「よみがえる科学者 ~水戸厳と3.11」

2016年05月21日放送
【内容】
山間の仮設住宅で暮らすひとりの男性がつぶやいた。
「あの人の言葉に耳を傾けていれば,こんなことにはならなかった…」
男性は福島県浪江町の漁師。
「あの人」とは物理学者の水戸巌である。
水戸巌は東大原子核研究所の研究者。
日本の原子力研究の最前線に立った。だが、原子力の利用はあまりにもリスクが大きいと,原子力政策に警鐘を鳴らすようになる。1970年代以降,東海村を皮切りに各地の原発訴訟では科学者の立場から原告の住民を支援。福島第一原発の周辺地域にも通い、浪江町の漁師たちとも交流した。そしておきた「3.11」。
番組では、科学者水戸巌の足跡を辿ることで日本の原子力政策の歴史と課題を振り返り、科学者のありようについても考えてみる。1986年、厳冬の剣岳で2人の息子とともに遭難死した水戸巌。没後30年、そして「3.11東日本大震災」から5年を迎えたいま、「行動する科学者」水戸巌がよみがえってきた。

【制作】
MBS毎日放送

#4「島の命をみつめて ~豊島の看護師・うたさん~」

#4「島の命をみつめて ~豊島の看護師・うたさん~」

2016年05月14日放送
【内容】
超高齢化を迎えた豊島(香川県土庄町)。
若い世代の多くは島を離れ、残ったのは70代・80代のお年寄りばかりだ。彼らはいま、静かに島の時間を過ごしている。そんな彼らの命に寄り添うのは、島で唯一の診療所「豊島健康センター」だ。
看護師の小澤詠子さんは、診療のかたわら毎日高齢者世帯を訪問し、健康状態を看て回っている。彼らの口から出る言葉は「はよ死にたい」「わしが先に逝きたかった」…。彼らはいつも親兄弟や自らの死と向き合いながら生きているのだ。死を覚悟した人たちを、医療で支える…。
そんなジレンマを感じながら、日々お年寄たちに寄り添う小澤さん。彼女は言う、「ここは生き合い、死に合う島」なのだと。
医療を通した看護師とお年寄りとの「生と死」を追った。

【受賞歴】
・「第40回 JNNネットワーク協議会賞」
  地域・環境番組 協議会賞

【制作】
RSK山陽放送制作

#3「いきがい ~95歳 現役菓子職人の明け暮れ~」

#3「いきがい ~95歳 現役菓子職人の明け暮れ~」

2016年05月07日放送
【内容】
さびれた駅前の老舗菓子店を一人で切り盛りする95歳の菓子職人。
店頭に並ぶ商品は少なくても、なぜか多くの人が訪れます。彼がよく話してくれるのは、70年前の戦争体験です。戦地で上官や戦友に振舞った饅頭。そして、頬張り故郷を懐かしむ彼らの笑顔…。
つらいとき、悲しいとき、人々を和ませてきたのは、ささやかなお菓子でした。 戦後、彼だけが故郷に戻り、菓子職人として復帰しました。生きていること、働けることへの感謝、何気ない日常の大切さをお菓子に込めています。かつてにぎやかだった駅前、いまは静かな無人駅。それでも大正生まれの菓子職人は、人通りを絶やしたくないとの思いで、きょうもお菓子を作ります。

【受賞歴】
・「2015年 日本民間放送連盟賞」
 中部・北陸地区審査会 テレビ・エンターテインメント部門
  審査員特別賞
・「第40回 JNNネットワーク協議会賞」
  エンタテインメント番組 奨励賞

【制作】TUTチューリップテレビ

#2「粘って拾って繋げ! ~鹿児島商業高校バレーボール部~」

#2「粘って拾って繋げ! ~鹿児島商業高校バレーボール部~」

2016年04月30日放送
【内容】
鹿児島商業高校、通称鹿商。公立商業高校では全国唯一の男子校だ。バレーボールで過去8年、県の頂点に立ち続けている強豪校でもある。持ち味は粘り強いレシーブ。そのスタイルで、他県に比べ高さに劣るチームでありながら、毎年全国の舞台でも結果を残し続けています。
しかし、昨年度は「常勝鹿商」が大きく揺らいぎました。6月、ひとつ目の全国大会をかけたインターハイ予選で破れ、8年間続いた全国への切符が途絶えたのだ。残る全国へのチャンスは、全国高等学校選手権の1回のみ。勝たなければならないという重圧の中味わったどん底。もう一度全国の舞台へ行くために、奮闘する選手やサポートする人々を追います。

【制作】MBC南日本放送

#1「ガラスの中の夢たち ~自然クリエイター 天野尚が遺したもの~」

#1「ガラスの中の夢たち ~自然クリエイター 天野尚が遺したもの~」

2016年04月23日放送
【内容】
新潟市の世界的な写真家で「ネイチャーアクアリウム」の創始者でもある天野尚さんが2015年8月に亡くなった。
天野さんは世界各地の熱帯雨林や日本の原生林を巡り「生態風景写真」を撮影、2009年には世界環境写真家協会を設立し、地球環境保護の重要性を訴えてきた。
一方、この豊富な自然体験をもとに、生態系を水槽に表現する 「ネイチャーアクアリウム」を提唱。アクアリウムのメーカーを経営し、その魅力を国内外に広めてきた。2015年4月にはポルトガルのリスボン海洋水族館に全長40メートルの巨大ネイチャーアクアリウムを完成させ、世界から注目を集めた。
病と闘いながら大仕事を成し遂げた彼の情熱の源は何だったのか?大判カメラによる新潟・佐渡の原生林の撮影やリスボンでの巨大水槽制作など7年間の密着取材を通して、天野さんの生き様と地球環境へのメッセージを検証する。

【受賞歴】
・「第40回JNNネットワーク協議会賞」
  地域・環境番組 奨励賞

【制作】
BSN新潟放送

#34「鶴と亀とオレ」

#34「鶴と亀とオレ」

2016年01月07日放送
長野県飯山市に、お年寄りの写真を撮影してフリーペーパーにまとめている一風変わった若者がいる。フリーのカメラマンで編集者の小林直博さんだ。3年前、故郷に暮らすお年寄りを撮影し「鶴と亀」というフリーペーパーを発行した。農作業に励むおじいちゃんやカメラの前ではにかむおばあちゃんなど、普通のお年寄りの写真を並べたものだが東京など都会を中心に「じいちゃん、ばあちゃんがスタイリッシュでイケてる!」と話題に。品切れ店が続出し、フリーペーパーを専門に扱う書店の優秀作品ランキングでは、全国で数万あるといわれるフリーペーパーの中で10位にランクインした。小林さんは「じいちゃんばあちゃんはかっこいい」という。お年寄りのファッションや生き方が、大好きなヒップホップやストリートカルチャーに近いというのだ。スクーターにまたがって、お年寄りを見つければ構わず寄っていってカメラを構える小林さん、楽しく会話しながら自然な表情をカメラに収める。番組では、小林さんの活動に密着し、「鶴と亀」にかける思いを描くとともにと、お年寄りとの不思議な関係を追う。

・「2016年日本民間放送連盟賞」
 テレビエンターテインメント番組 最優秀賞受賞

【制作】
SBC信越放送

番組詳細

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