榊原・嶌のグローバルナビ


Big name

バックナンバー

第339回 2007年7月7日 放送

世界70ヶ国以上で事業展開するグローバル企業、デュポン。世界有数の総合化学メーカーとして、電子部品から自動車、アパレルに至る、様々な分野で原材料となる樹脂や繊維の製造・開発を行っています。

その歴史は、1802年、アメリカのデラウェア州から始まります。フランスからの移民、エルテール・イレネー・デュポンが、黒色火薬の製造販売事業に乗り出したのです。20世紀に入ると、デュポンは事業を多角化、総合化学メーカーへと姿を変えます。その代表な製品が1935年に発明した「ナイロン」。現在は、一般名詞になっていますが、もともとはデュポンが作りだした合成繊維の商品名だったのです。そして1938年には「テフロン」を発見。フライパンの特殊加工で広く知られていますが、現在では、「焦げ付かない」だけでなく「くっつかない」という特性を生かし、地震の揺れを軽減する免震装置にも応用されています。

1969年、人類が始めて月面に立ったとき、アームストロング船長が着ていた宇宙服はそのほとんどがデュポンの開発した素材で作られていました。スペースシャトルでは、大気圏への再突入時に生じる1200度を超える高温から機体を守るため、デュポンのノーメックスという繊維が緩衝用に使われています。デュポンは、その200年を超える歴史の中で、人々の暮らしと産業活動に多大な影響を及ぼす素材や技術を次々と生み出してきたのです。

天羽社長率いるデュポンの日本法人もその活動は活発で、3年連続の二桁成長を遂げています。その原動力となっているのが、名古屋に新設された「オートモーティブセンター」です。自動車関連メーカーに照準を合わせた戦略的な営業拠点で、世界各地に展開するデュポンでも初の試みです。ショールームには燃料タンク用ホースや絶縁材料、そして塗料のサンプルなどが並び、トヨタやホンダなど自動車メーカーや部品メーカーの関係者は製品を手に取って商談を進めることができるのです。

しかし、このオートモーティブセンターが出来るまでは大きな問題がありました。というのも、デュポンの8つの事業部、さらに5つの合弁企業が、それぞれ別々に製品を開発し販売をしていたのです。顧客にとっては煩わしく、デュポンにとっても非効率でした。そこで「オートモーティブセンター」を設立、顧客に対する窓口を一つにまとめたのです。これが、“ワン・デュポン”=“ひとつのデュポン”戦略です。デュポンが持つ製品、加工、設計などの情報をまとめて顧客に提供できる体制を作り営業の総合力を高めたのです。

デュポンにとっての日本市場の意味…それは世界でも高い競争力を持つ日本の製造業と取引をすること。最先端の技術や新製品の開発に素材メーカーとして参加することで、デュポン自身も技術力、商品力を磨くことが出来ます。日本のモノづくり、その技術革新の一翼を支える存在になることが、デュポンの成長にも繋がっているのです。

グローバルで“サイエンス\カンパニー”への転換を図っている。化学製品や技術のみならず、科学的な発見や発明を基盤にサービスを提供して行きたい。

デュポン社が誕生したのは、アメリカの南北戦争より前の1802年。黒色火薬を製造する会社として誕生しました。そのせいか、デュポン社は「安全を第一」に考えているそうです。例えば「階段を使うときは手すりを持つように」などなど細かいことまで社員に徹底させているのです。そこまでいわなくても、とも感じますが、こういうことも大切なことなのでしょう。体は大切な資本ですから。

そんなデュポン社に我々は相当助けられています。個人的にはテフロン。天羽社長によりますと、偶然出来てしまったものだそうですが、その偶然に感謝です。テフロン加工のフライパンが台所で登場しない日はないですし、焦げ付かないし、洗いやすいし、油も少なめで調理が出来ます。初めて母が使っているのを見たとき、魔法のフライパンに見えました。

ちなみに我が家のキッチンカウンターと洗面カウンターはデュポン社の人工大理石。素材メーカーなので、「デュポン」という名前が前面に出ていませんが、こういうところほど、実は家中でお世話になっているのかもしれませんね。これからどんな素材を作り出していかれるのか、楽しみです

上に戻る▲