週刊報道LIFE

鳥越俊太郎(ジャーナリスト)

私は昭和15年(1940年)3月に生まれた。終戦時は5歳、翌年昭和21年に小学校に入学した。その意味で私及び私の同世代は戦後70年の歴史の第一期生です。それは終戦の日から日本に何があったのか?何がどう変わったのか?はすべて記憶のヒダに刻み込まれていることを意味していると言ってもいいでしょう。


お米も満足に食べられない極端に貧しい日々が続いた。同時に私たち戦後1期生は真白な状態で平和と民主主義の精神を学び身につけて行った。それは自分でも驚くほど強固に根付いた私の人間としてのあり方、つまり生き方の土台=根本と言っても過言ではないでしょう。7歳年長で終戦時に12歳だった今上天皇が私たちと同様の環境の下で育ち、今も尚「平和と民主主義」を強く希求し続け、靖国神社参拝を拒否し、時の自民党政権とは鮮やかな対比を見せている。そのことに心からの共感を覚えているのが戦後1期生の特徴でもあります。

以上のことから分かるように私は安倍政権が推進する、憲法9条の精神をないがしろにするいわゆる集団的自衛権の行使容認、安保法制を絶対に受け入れることはできません。それは私の戦後70年の人生を否定することになるからに他ならないからです。

これは私の推測にすぎませんが、戦後60年の節目の年にサイパンを訪問、70年には太平洋戦争の激戦の地ペリリューがあるパラオ諸島に慰霊の旅をされた天皇夫妻の心中には、ジワジワと変形していく日本の政治と社会への苦々しい思いがあるのではないか?これは私一人の思い過ごしでしょうか?


私にはもう1つ、大学で日本史、中でも近代史を学んだ人間として、戦後70年の今だからこそ言っておきたいことがあります。


日本の明治維新=近代社会への転換は、国際的に見ると欧米列強(帝国主義諸国)がアジア各国を次々と植民地化していく中で行われた。夜明け前の日本も当然、その標的でした。そうした危機感が募る中で明治政府が選択した道筋は「富国強兵」と「殖産興業」という政策でした。それは同時に欧米列強のマネをして他国を侵略し、植民地を持つという道でもあります。日清、日露の両戦争には異なる評価もありますが、明治政府の基本方針が内部に潜んでいたことは間違いない。そして満州事変から太平洋戦争に至る道には「満州国成立」という、事実上の植民地政策が重たく横たわっていることは紛れもない歴史的事実でしょう。

こうした明治維新以来の日本の選択の影で何百万人という日本人が命を落とし、国内の言論の自由を初め基本的人権を守る民主主義は完全に窒息させられていったのです。


たとえどれだけ美事な美辞麗句で飾られようとも他国と戦火を交えることは、日本の平和を失い、国内の民主主義にも様々な障害が出てくることを意味します。

私は戦後70年を迎える今日、安倍政権の進める一連の政策に絶対的NOを主張します。