週刊報道LIFE

高橋源一郎(作家)

(作家・高橋源一郎さんは今年6月、フィリピン・ルソン島を訪問。1945年、27歳で戦死した叔父・宗彦さんの戦没の地をたどる「慰霊の旅」でした。高橋さんは戦後生まれ、無論、宗彦さんと面識はありません。フィリピン戦線に投入された日本兵はおよそ63万人。うち50万人余りが死亡し、そのひとりが宗彦さんでした。日本軍壊滅の地・バレテ峠にある慰霊碑は、北の方角、日本に向かって立っていました…。)


わたしは目を閉じ、頭を垂れて、一度も会ったことのない伯父のために、それから帰国することができなかった50万の兵士のために、そして、この戦いで亡くなった、万単位のアメリカ軍兵士と百万人以上ともいわれるフィリピンの人たちのために黙祷をした。黙祷すべき人たちは、他にもいるだろう。だが、あらゆる戦争の死者に黙祷することは不可能なのだ。わたしには、ようやくたどり着いたという思いだけがあった。


目を閉じている間のことだった。わたしは、異様な感覚に襲われたのである。

伯父が背後に立ち、黙ってわたしを見つめているような気がしたのだ。恐ろしくはなかった。ただ悲しいだけであった。


わたしは目を開けた。青と緑に染められた美しい風景が、どこまでも広がっていた。不意に、こんなことを思った。70年前、伯父もまた、どこかこの近くで、この風景を見たのだ。そして、迫り来る確実な死を前にして、自分が存在しないであろう未来、けれども平和に満ちた、その遥か未来の風景を想像したのではなかったろうか。わたしには、それが疑いえない事実であるように思えた。そして、伯父が想像した、平和に満ちた未来とは、いまわたしがいる、この現在のことなのだ。それがどんなに貧しい現在であるにせよ。そのことに気づいた瞬間、そう、ほんとうにその瞬間、わたしは後ろから、伯父に抱きしめられたように思った。そのとき、亡くなった家族たちから託されたわたしの慰霊の旅は終わったのである。


過去は、わたしたちとは無縁ではなく、単なる思い出の対象なのでもない。

「そこ」までたどり着けたなら、わたしたちの現在の意味を教えてくれる場所なのだ。


(初出掲載 朝日新聞2015年7月22日)