週刊報道LIFE

2015.08.23

「終わりなき沖縄戦」

6月23日は、沖縄の慰霊の日。この日は、多くの人が「沖縄戦が終結した日」と考えているのではないでしょうか。しかし、正確ではありません。

牛島満軍司令官は自決の前に最後の命令を出しました。それは、「最後まで敢闘し、悠久の大義に生くべし」…つまり、最後の一兵まで戦えと命じたため、終わりなき沖縄戦が生み出されたのでした。残った日本兵は、その後も投降を許されず、遊撃戦を続行しました。その終わりなき沖縄戦によって、一体何がもたらされたのでしょうか。

渡嘉敷島や久米島では、日本兵による住民虐殺事件が何度も起きました。それは、牛島満軍司令官が自決した6月22日以降にも、玉音放送のあった8月15日以降にも起きました。「防諜(スパイ対策)に厳に注意すべし」と生前の牛島満司令官が訓示した通り、スパイ対策は日本軍の最重要課題の一つだったのです。米軍と接触した住民は、スパイ扱いして虐殺するという徹底ぶりでした。久米島では、乳飲み子も含め、家族を皆殺しにするという残虐な事件にもなっています。

沖縄の日本軍が正式に降伏調印をしたのは、ミズーリで調印が行われた9月2日よりも遅く、9月7日のことでした。それまで沖縄の住民は、「殺されるかもしれない」という恐怖から解放されなかったのです。

ゲストには、牛島満軍司令官の孫である牛島貞満さんをお迎えします。貞満さんは、東京都の小学校の教師。沖縄戦のことや祖父・満軍司令官のことをテーマにした授業にも取り組んでいます。貞満さんとともに、『終わりなき沖縄戦』について考えます。