#44 「桶狭間の戦い」 2013年8月7日放送

#44 「織田信長 VS 今川義元」

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戦国史上最もドラマチックかつ不可能を可能にした戦い。三河、遠江、駿河の三国を有する今川義元に対し、いまだ一国の主として駆け出しの若き織田信長が挑んだ大逆転劇、桶狭間の戦い!
しかし、この歴史に残る戦いの真相は謎に包まれている。はたして、義元の敗因とは!?そして、信長の秘策とは!?戦国の勢力図をまるごと書き換えた桶狭間の戦いの真実に迫ります!!

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大うつけから大将へ・・・

天文(てんぶん)3年5月11日。信長は、織田信秀の三男として尾張勝幡城に誕生した。父の信秀は、蹴鞠や連歌など、武士の教養を教えようとしたが信長は百姓の子相手に戦遊びをするばかり。そのため、尾張のみならず隣国からも「大うつけ」と馬鹿にされていた。しかし、父が早くに亡くなり織田家の家督を当時18歳だった信長が継ぐことになった。その状況に離反する家臣も現れる中、義元はここぞとばかりに尾張へ侵攻。このとき義元になくて信長にあるもの。それは尾張の経済力。領主となったばかりの信長は早速の窮地に立たされる。

桶狭間の前哨戦・・・

信秀の死後、織田方の武将が次々と今川へ離反。義元はその寝返り組を利用し尾張の大高城・沓掛城の二つの城を落とす。ところが、その直後、義元はその寝返り組みに切腹を命じた。理由は「織田方に通じ、今川を裏切る恐れがある」とのことであった。実は、ここに信長の秘策があった。信長は家臣に寝返り組みの者達が書いた書状の筆跡を覚えさせ、偽の書状を作成。そこには「今川を裏切り、信長広にお味方する」とあった。まさに、情報戦。信長はただの大うつけではなかった。

神の味方した桶狭間・・・・

互いの緊張が高まる中、永禄3年5月12日。本格的に尾張進出へと乗り出した義元は、2万5000の大軍を引き連れ、駿河を出発。ついに信長を潰しにかかる。一方、迎え撃つ織田軍の数はわずか3千。信長は圧倒的に不利な状況を前にして、「もうよい。帰って休め」と、なぜか動かなかった。そして、次々と届く敗戦の報せにも全く動じない。連勝続きに勝利を確信した義元は、とある山中で休憩をとる。
その時、突如、信長は城を飛び出した。「狙うは義元の首ただひとつ!!」全ては信長の計算通りだった。あえて、義元を進軍させおけはざま山へ誘い込んだのだ。信長は一点突破で義元本陣へ進撃。ここに戦国史上に残る大逆転劇が幕を閉じた!この勝利によって、自他共に天下人への確信を得たのである。それは戦国の世の終わりを意味し新たな時代の幕開けでもあった。

高橋英樹の軍配は…

大河ドラマの「国盗り物語」で織田信長を演じたことによって、自分は俳優としてやっていける、と自信を持てて、結婚もしました。その後も事あるごとに「織田信長」という人物を演じるたび、自分の俳優人生、俳優という職業についている自分を高めることができた。それは、信長がこの桶狭間で勝たなければ、彼は教科書にも載らないような、普通の脇役でおわっちゃうような武将だったと思うのです。わたしの俳優人生を変えた人物、ということで・・・織田信長!