#61-62 2015年7月10日(金)放送 “天下分け目” 関ヶ原の戦いスペシャル

関ヶ原の戦いスペシャル

第一部 夜9:00〜9:54
第二部 夜10:00〜10:54

今回の列伝は、天下分け目の関ヶ原の戦いスペシャル。1600年9月15日。武将たちは何を思い、どのように動いたのか!?第一部は関ヶ原の戦い前夜まで。秀吉の死後、天下取りに向け、着々と布石を打ち始めた最大実力者・家康。会津攻めを大義名分に、諸大名6万の軍勢を集めることに成功。東軍結成をする。一方、家康の横暴を許せない光成は、毛利輝元を味方につけ、反家康のグループの結成に注力。この二つの軸に、全国の武将たちが終結した!
第2部は決戦当日、うごめく野望の中、武将たちはどう動いたのか。渦を巻く謀略、裏切りが続出した背景には、武将たちの苦悩があった。そして勝利の立役者は誰だったのか!?武将たちの物語に迫ります。

ゲスト

ゲスト 歴史学者
本郷和人
ゲスト 歴史時代作家
仁志耕一郎

今回の列伝は、関ヶ原の戦いスペシャル。関ヶ原の戦いは、今から415年前の1600年(慶長5年)9月15日、東軍・徳川家康と西軍・石田三成が大激突。15万もの将兵が集まり、命を賭けて戦った天下分け目の一大決戦だ。そこには、家康、三成だけでなく、参加した武将たち一人一人の思惑とドラマがあった。番組では、家康・三成だけではなく、西軍総大将となった毛利輝元、豊臣恩顧でありながら東軍についた福島正則、勝敗を決める裏切りを決断した小早川秀秋、最後に家康を恐れさせた島津義弘の生き様に迫る。

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東軍 徳川家康

関ヶ原の戦いからさかのぼること2年前、天下人・豊臣秀吉が死去。わずか6歳の秀頼が後継者として残された。五大老筆頭であり、国内最大の実力者だった徳川家康は、これを機に天下取りに乗り出していく。掟破りの縁組、前田家の排除、上杉景勝に狙いを定めた会津攻め・・・。まさに古だぬきが如く、謀略の限りを尽くして権力拡大に動いていく。
実はそうした謀略家としての原点には若き頃に味わった屈辱があった。そして、天下を目指す理由には、幼少期から長年苦汁をなめてきた家康が描いた壮大な夢があった。

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西軍 石田三成

秀吉の死により大きな試練にさらされたのが側近として活躍していた石田三成だった。五奉行の実力者として豊臣政権の屋台骨を支えてきた三成だが、主の死、そして政権の調整役だった前田利家の死により、武断派諸将による石田三成襲撃事件が勃発。家康の仲介により命は助かるが、政治の表舞台から失脚してしまう。しかし、高潔なる理想を抱く三成は、それに共感するブレーンたちの協力を得て、形成を逆転させる秘策を放つ。一挙に西軍を結成し、家康を追い詰める。

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武将たちの決断

家康、三成が東西両軍を結成し、日本全国の武将たちは否応なしに巻き込まれてしまう。その中心にいたのが、西軍総大将になることを決断した毛利輝元、そして秀吉子飼いの武将でありながら東軍につくと決めた福島正則の2人。長年、厳しい叔父たちに抑えつけられてきた輝元は、天下を望むなかれの家訓を破り、野心を剥き出しに表す。毛利家は一枚岩になれないまま関ヶ原にのぞむことになる。一方、小説・ドラマで荒武者として考えられてきた福島正則だが、その実像は全く違うものだったと明かされる。

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武将たちの逡巡

合戦前日になってもまだ決断しない武将たちがいた。東西両軍、一体どちらが勝つのか、当時の人々にとって予測がつかない状況が続く中、その状況を見極め、勝ち馬に乗ってやると考えていたのが小早川秀秋だった。わずか19歳の若者だが、小早川家の精鋭を率いていること、さらに松尾山という最大の地の利を得て、勝敗の鍵を握る最重要人物へとのし上がる。一方で薩摩の猛将・島津義弘は、最終的に西軍に与することになりながらも、1500の手勢とともに不動の態度を決める。その思いに至るまでには大きな理由があった。

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決戦 関ヶ原の戦い

1600年(慶長5年)9月15日、午前8時、中山道、伊勢街道、北国街道が交わる交通の要衝地に集まった東軍7万と西軍8万がとうとう戦いの火ぶたを切った。あくまで短期決戦を狙う家康、長期戦に持ち込みたい三成。しかし両者の予想は、武将たちが抱く思惑によって悉く裏切られる。宇喜多秀家、島左近の奮闘により西軍優勢の状況が続くと、松尾山から見ていた小早川秀秋は決断を先送り。焦った家康は本体3万とともに前線へ。これを好機とみた三成は狼煙をあげるも、毛利諸将が動かない。最新研究によれば、西軍総大将にも関わらず戦場に来なかった毛利輝元の意外な思惑があったとされる。しかし、正午、家康による問鉄砲が撃たれると小早川秀秋は寝返りを決断。大谷吉継の奮闘むなしく西軍は一挙に総崩れとなる。だが、合戦最後、島津義弘が家康を恐怖させる行動に出る。

わずか半日で終わり、徳川260年を決める最大の戦い。果たして関ヶ原の戦いの最大の功労者は誰だったのか?浮かび上がる謎、これまでにない新説とともに2時間にわたって迫っていく。

六平のひとり言

関ヶ原の戦いというと、とかく、家康、三成に注目が行くけど、
今回、様々な武将たちの思いを知って、すごく興味深かった。
集まった15万の兵の、1人1人に、「天下分け目」に
参加した迷いや悩み野望など、「物語」があった。
それを思うと、今回取り上げた以外の、一人一人の武将の思いにも、
さらに深く触れてみたいと思いました。