THEナンバー2

毎週木曜よる10時オンエア

綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。

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勝海舟&小栗上野

ゲスト: 井沢元彦

日本が経験した未曾有の大転換期、幕末。明治の足音が聞こえてくる中、それでも幕臣であることを誇りに、幕府を支えようとする二人の男がいました。
勝海舟と小栗上野介。今回は徳川幕府の最後を看取った二人の幕臣に迫ります。

天と地、水と油、月とスッポンの二人 

小栗上野介は2500石の旗本・小栗忠高の子として生まれました。徳川譜代の旗本の家に生まれた小栗は、自ずと徳川幕府への忠義心を胸熱く抱いて育ちました。一方,勝海舟は勝こきち小吉、のぶの長男として生まれました。勝家の禄高、わずか41石のこぶしんぐみ小普請組。それ故に出世への野心を燃やすのでした。生粋のキャリア組の小栗と、底辺のノンキャリア組、勝海舟。二人は正反対の人生を歩んでいたのです。

ひとつの事件、ふたつの反応

その二人の人生を大きく、まさに、180度変えることになったのが黒船来航でした。この衝撃的な事件が後に二人を結びつけるのです。1860年、幕府は前年に結ばれた「日米修好通商条約」の批准書の交換のため、アメリカに使節団を派遣することにしました。この時、小栗上野介は使節団の実質的なリーダーとしてアメリカへ渡ります。一方の勝海舟も使節団の随行役として渡米。奇しくも、二人は同じときに、真逆の立場で外国の文化を目の当たりにし、今後の日本をどうして行くかというビジョンを描くのです。帰国後、小栗は造船所の建設に着手、勝は海軍学校の創設に奔走。ハードの小栗、ソフトの勝。当時の日本にとってはどちらも不可欠なものでした…

徳川幕府の一番長い日

1868年。共に幕府を支えた二人が決定的に対立するときがやってきます。
15代将軍慶喜の就任後、倒幕を目論む薩長が勢いをつけ、幕府は鳥羽伏見の戦で大敗。その後、江戸城で、幕府は抗戦するか、恭順するかの会議が開かれました。抗戦派の代表となったのが小栗、恭順派の代表は勝。慶喜は徹底して抗戦を主張する小栗を退け勝の意見を採用します。ここで、徳川幕府の歴史が終焉を迎えたのです。共に幕府を支えた二人の幕臣。天と地ほどの差があった小栗と勝の立場が逆転した時、徳川幕府の幕が下ろされたのでした。ともに幕府を見据え、「日本」を見据えた勝と小栗。二人の最後の幕臣、それははじめての「日本人」であったのかもしれません。