THEナンバー2

毎週月曜22時オンエア

綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。

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長岡謙吉

ゲスト: 童門冬二

日本のヒーロー坂本龍馬。
土佐の下級武士でありながら日本の夜明けを夢見て活躍した彼は、今なお日本中で愛されるヒーロー。しかし龍馬にスポットが当たった結果、陰に隠れてしまった人物がいました。その人物こそ今回の主役であり、龍馬の秘書とも言われた「長岡謙吉」です。今話題のあの「船中八策」を文章化したのも謙吉と言われています。
今回のナンバー2は大河ドラマにも登場しなかった陰の主役中の主役、長岡謙吉にスポットを当てます。

正反対の性格である二人が出会ったきっかけ

龍馬と謙吉。実は親戚であり、家も近所でした。龍馬は泣き虫で落ちこぼれ。一方、謙吉は医者になるために 勉学に励む優秀な子供でした。12〜3歳の頃、謙吉は西洋に精通していた河田小龍から西洋医学を学び西洋に関心をもち始めます。その5年後の黒船来航に衝撃を受けた坂本龍馬も小龍の元へ。小龍から話を聞き感銘した龍馬はそこである人物を紹介されました。その人物こそ長岡謙吉だったのです。行動型の龍馬に対し、教養があり黙々と記録を取るタイプの謙吉。やがて龍馬にとって謙吉は、自分の理想を言葉にまとめる必要不可欠な存在になってゆくのです。

船中八策を書き上げた男〜謙吉がいなければ龍馬は歴史に名を残せなかった!?〜

これ以上のナンバー2とナンバー1がいないと歴史作家加来先生が絶賛するほどのコンビになっていく2人。 今話題となっている「船中八策」や薩長同盟の文書。実は龍馬から出たアイディアを具体化したのは文章力に優れた長岡といわれています。もし、長岡がいなければ、龍馬のアイディアは言葉のまま、記録に残ることもなく、歴史の中に埋もれ、具体性を持つことができず、龍馬がここまで注目された人物にはならなかったかもしれません。

新たな日本語で近代化へ導いた謙吉

シーボルトに西洋医学を学んだ謙吉は、実学の一つに「万国公法」も学ぶ。謙吉は日本の改革を目指すようになります。しかし、脱藩先の長崎で捕まってしまいます。当時、脱藩は重い罪でした。3年ほどの城下禁足。小さな村医者に収まり、妻を迎え家庭を築き落ち着いた生活を送り始めます。しかし、このままくすぶっている謙吉では ありませんでした。当時、勢いづいていた龍馬に背中を押されるように、妻子を捨て再び日本の改革を目指し、再度の脱藩を決意。幕府を平和裏に倒し新しい日本を作るべく奔走します。この頃、まさに謙吉の「言葉力」がモノを言います。土佐藩船の中で練られた「船中八策」は大政奉還建白書に発展。朝廷に提出され大政奉還が実現します。海援隊が作った和英辞書「和英通韻伊呂波便覧」。これも謙吉が制作したと言われています。幕末のこの頃、言葉は現在の半分くらいしかなかったと言われる。欧米の文化を取り入れるべくそれらの言葉を日本語化した謙吉。その思いを伝える言葉がこの辞書の前書きに残っている。「外国人と接するとき、言葉と文字でもってするほかない。この辞書が手助けになるように…」
時代の寵児、坂本龍馬の言葉、思想を文章にしてきた長岡謙吉。彼の存在がなければ、日本はまた、違った方向へ歩んでいたのかもしれません。


龍馬が暗殺されたとき
その血が飛び散った掛け軸に漢詩を書き残した長岡謙吉。
その内容は事実のみを伝えるもので
なんら感傷的な文言がないところに驚きました。
これが長岡謙吉という人物をあらわしているような気がします。 
医者の家に育ち
西洋医学で西洋を知り万国公法にも明るかった龍馬の知恵袋、謙吉。
熱くなりどんどん先走る龍馬をいつも冷静にうけとめ
文章に残していたのでしょうね。