THEナンバー2

毎週月曜22時オンエア

綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。

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源義経

ゲスト: 井沢元彦

天保時代、薩摩藩は莫大な借金を抱えていました。その額、500万両。今でいう1兆2500億にもおよび、再建の見込みのない状態です。このままではあの、日本の歴史のターニングポイント、明治維新に参加すらできない状況でした。
維新まであと30年… そのとき、一人の男が藩の再建に乗り出しました。調所笑左衛門。下級武士の出身の彼は「借用証文を取りかえせ・50万両を備えよ」など無理な注文を藩主・島津重豪から言い渡されると、これをなんとすべてクリア。不可能とされていた500万両の借金整理に成功します。この借金整理がなければ薩摩藩が明治維新に参加することはできず、明治維新は起きなかったのかも知れません。借金まみれの藩を見事に立て直したその方法とは!? 調所笑左衛門の真実に迫ります!

薩摩藩の借金

薩摩藩はもともと77万石の雄藩。しかし、幕藩体制による、2つの政策、参勤交代とお手伝い普請が薩摩藩の借金地獄の始まりでした。借金ができたにもかかわらず、薩摩藩は教育に力を注ぐべく、多岐にわたる教育機関を設立。そこへ、桜島の噴火なども重なり、借金は雪だるま式に増える一方。あとは踏み倒すしかない。今まで誰に頼んでも成功しなかった借金問題。藩主・重豪はだめもとで、一番身近にいた茶坊主、笑左衛門を使ってみることにしました。
笑左衛門はまず、薩摩藩の得意分野、中国からの輸入品目を増やします。すると砂糖の生産に目をつけていた両替屋・孫兵衛と出会うことに。孫兵衛は薩摩藩が生産する砂糖が有望と、新たな融資団を集めた。ここに財政改革の基盤が整い、笑左衛門の前代未聞の財政改革が始まります。

今の日本も通じるのか?調所の借金整理法とは!?

まず、藩とは別に、新たな会社「島津家」を設立。得意の砂糖を専売にし、なおかつ物流の合理化、高品質化を行い、より高く、砂糖が売れるように工夫しました。砂糖以外の産物にも工夫を重ね、大阪市場では薩摩藩の品物は極上品として高く取引されるようになりました。
一方、膨大な借金は、「250年かけて返済する」と宣言。事実上は踏み倒しだが、踏み倒しと違い、少しずつだが借金は返し続けるところがミソでした。踏み倒しではないので、債権者は取引を続けていくことができ、破綻は回避。結果、借金を返済しつつ、100万両を超える備蓄までできたといいます。

明治維新へ・・・

しかし、藩主が変わると財政は破綻…。斉彬は備蓄金を使い、近代国家建設を急ぎました。反射炉の建設や軍艦の製造など、斉彬の情熱は西郷や大久保を魅了し、維新へむけ時代の舵は大きく切られていくことになりました。しかし、笑左衛門の苦労がなければ、これらの事業を始めることすらできなかったはずです。
今の日本に、このような足元をしっかり見つめる人物はいるのでしょうか…

 


膨らみ続ける借金に打つ手のない家臣たち。
ほとんどやけっぱちでその財政立て直しを任されたのが茶坊主の調所。
薩摩藩主の重豪、ムチャぶりすぎですよ!
しかし調所のアプローチは機転が利いて功を奏すから不思議。
人の才能ってどこにあるのか誰にもわからないものですね。
その後、調所のつくった虎の子の備蓄金が維新への素地になり、
歴史はつながっていくのです。
本人の意図しない方向へ進んでいくことも歴史の醍醐味かもしれません。