THEナンバー2

毎週月曜22時オンエア

綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。

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酒井忠清/堀田正俊

ゲスト:加来耕三


THEナンバー2 将軍にうとまれた大老の悲劇 酒井忠清/堀田正俊 時は1680年5月5日。江戸城にてある会議が開かれた。神妙たる面持ちの面々。 議題は、四代将軍徳川家綱危篤につき、次期将軍に誰を据えるのか。主導権を握るのは  大老・酒井忠清。忠清は、あろうことか徳川家以外の人間を将軍に据えるという異例の 提案。反対するは堀田正俊。ここに徳川幕府のいちばん長い一日がはじまった・・・・。 今回のTHEナンバー2は、徳川幕府のまさに、THEナンバー2「大老」というポストに光を当てます。そこにみえたものは、現代にも通じる権力闘争の世界。栄光から挫折へ至る悲劇でした。

徳川将軍家後継者争い勃発…

第四代将軍徳川家綱。彼は「さようせい様」と呼ばれ政治にうとかった。一方で「下馬将軍」と呼ばれ、絶大な権勢を誇ったのが大老・酒井忠清でした。そんな中に降って湧いた徳川後継者問題。忠清はここぞとばかりに自らの権力を絶対的なものにすべく動くのです。


徳川家を救った堀田正俊の一言…

「京から有栖川宮幸仁親王をむかえ、宮将軍としよう」。江戸城にて開かれた会議の場で、酒井忠清はこの異例の提案をします。鎌倉幕府の実権を握った北条氏のごとく、自らが  江戸幕府を乗っ取ろうとしたのです。 そのとき、たった一人異を唱えた男がいました。末席に座した新参者の老中、堀田正俊でした。「なぜ、徳川家の血を引いた綱吉様ではないのか!」この一言により、正俊が時代の流れを自らの手元へ引きよせたのです。

運命を分けたかにみえるふたりの大老…

1680年8月。第五代将軍徳川綱吉が誕生。そして、「大老・酒井忠清」は罷免され、新たに、大老 堀田正俊が誕生するのです。つまり、将軍後継者争いは、そのままナンバー2「大老」の権力闘争でもあったのです。そして、勝利者であった堀田正俊は、大老就任からわずか2年9ヶ月・・・殿中にて刺殺され命を落とすのでした。犯人は誰なのか?一説には正俊自ら将軍にした綱吉の陰謀だとも言われています。  「大老」、それは幕府の真のナンバー2。しかし、その力を発揮すればするほどに、悲劇的な運命を辿るのかもしれません。徳川幕府のいちばん長い日は、二人の運命をも変えてしまいました。


ナンバー2の悲哀を感じる2人の人生。
名門の出の酒井はスピード出世し権力をほしいがままにしたものの
将軍が交代すると失脚、抗議の自殺をしたといわれています。
次にナンバー2になった堀田も将軍との蜜月の期間は短く、暗殺という悲劇で
生涯が終わりました。
権力が集中すると自分がナンバー2であることを忘れてしまうのでしょうか?
ナンバー2はナンバー1との相性が重要ですが 上司は選べないですからねぇ… 
出しゃばらず寛容な心をもちつつも情熱を失わないのって…かなり難しいですね。