THEナンバー2

毎週月曜22時オンエア

綺羅星の如く、日本史を彩る名将たち。 私たちがよく知る歴史の表舞台、 その陰には常に「ナンバー2」の存在がありました。いわばそれはもうひとつの「歴史物語」。

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藤堂高虎

ゲスト:井沢元彦 / リポーター:J I N

THEナンバー2 第5回は藤堂高虎、家康に天下を取らせた男。その道なりはちょっと 変わっています…。
何度も主君を変えた武将として知られる高虎ですが、そのスタートは活躍はしたが負け戦でした。その後各地を放浪し、なぜか城を学びたいと安土城の建設現場で働き始めます。 高虎築城技術の優秀さは、周知の通り。その建築現場で人生を変える一人の人物に出会います。 その人物とは、秀吉の弟で兄を天下人まで出世させた羽柴秀長でした。天下人に直接でなく、それを支えたナンバー2の秀長に仕えたことがその後の高虎に大きな影響を与えたのです。

作った城の数20以上、築城の名手高虎

江戸城、今治城、和歌山城など、高虎の作った城は20以上にものぼります。しっかりした城を作ることで有名で、その中には現代の今も姿を見ることができる城もあるほどです。
今回訪れたのは津城。高虎が大改築した跡も残っています。高虎が石工を競わせ、より強固な石垣を作らせたので、津城の城壁には様々な石積み技術が見られます。



家康が全幅の信頼を寄せた高虎とは

放浪の末、高虎が最後の主君として選んだのが徳川家康。高虎は家康が天下を取る可能性に賭け、家康もまた、かつて豊臣政権のナンバー2として活躍していた高虎の能力を必要としていました。その大きなターニングポイントとなったのが「小山評定」。家康が恐れたのが豊臣家に恩顧のある大名たちの存在。どちらにつくか決めかねている会議のなか、誰よりも早く発言したのが高虎だったのです。

「三成にみかたするのであればなぜこの地まで参りましょう。われわれの中に二心を持つような者はござらん」

この言葉に触発され、衆議は一気に三成打倒に決しました。高虎は家康をバックアップし、家康は高虎を引き上げる。ギブアンドテイクの理想の関係になったのです。

天下統一後もナンバー2の真価を発揮をする高虎

江戸の町の整備が急ピッチに進むかな、建築の得意な高虎は家康に重宝されました。
高虎が整備した上野辺りの地名には、 忍びの地の由来からつけられた「不忍池」など自分の領地にちなんだ名前がつけられていると言われています。

そのナンバー2に徹した能力は、その後、 二代、三代の将軍家にも仕え、十分に発揮されました。苦労人なだけに人の痛みもよく理解していた高虎は、無類の人格者でした。手柄は主人、非は自分。ナンバー2の極意を知っていた高虎が徳川政権安定の礎を築いたのかもしれません。


かっこいい名前ですよねぇ「藤堂高虎」って。
さらに!当時名刺があったなら肩書きは「城専門建築士 藤堂高虎」でしょうか。その人生は名前負けしないものでした。

 

家康、秀忠、家光と将軍家三代に仕えた武将ですが キャリアのスタートは農民同然の武士から。15歳の初陣も負け戦。その後6年もの間放浪し、秀吉の弟の秀長に仕えます。安土城の建築現場で土木のスペシャリストになることを決意し数々の攻めにくく守りやすい城を建築。(今治城、伊賀上野城、津城など)のち家康臨終の枕元に呼ばれるほど家康から信頼された武将です。

 

また「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と、一人の主君に長く仕えるのではなく理想とする主君と出会えるまで次々と主君を変えたことでも有名です。乱世の時代 優秀な人ほど仕事を選び職場を変える、とか。武士として戦で手柄を上げるだけでなく建築という特技を身につけたからこそ自分の好きなように人生を選択していけたんでしょうね。
恵まれたキャリアのスタートでなくても自力で這い上がっていく力強さ、見習いたいです。