AQUOS美術館 かくて名画は生まれた。

メニューへジャンプ
毎週土曜日よる22:00〜22:30
毎週日曜日7:00〜7:30再放送

今から100年以上も前に描かれた一枚の絵画。
名画の放つ色彩…そしてその筆遣い。
画家が持てる情熱を全て注ぎ込んだ絵画に向き合う時、あなたはそこに何を見るであろうか?

絵画の数だけドラマがある。そして見る者の数だけ感動がある。
絵画は人生を変える。画家も、そして見る者さえも…

ピエール・オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir

#23 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」

12月6日O.A.(7日7:00 再放送)
3月7日O.A. (3月8日再放送)
声の出演 津川雅彦(ルノワール役)
テーマ音楽:宮川彬良
『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』

「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」

所蔵:オルセー美術館(フランス・パリ)

作品の舞台となったのは、風車小屋、つまり“ムーラン”を改造して作ったダンスホール。
粗末な田舎の屋外ダンスホールに過ぎなかったものの、当時のフランスでは、庶民の遊び場として人気のスポットだった。
ルノワールが、この作品を完成させるために費やした歳月は丸1年。ダンスホールのあったモンマルトルの安アパートにわざわざ引っ越し、毎日のように巨大キャンパスを持ち運んだという。
当時35歳のルノワールが、そこまでして描きたかった「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。その誕生のきっかけには、かけがえのない友の“死”があったという…。

『ラ・グルヌイ・エール』

「ラ・グルヌイ・エール」

所蔵:ストックホルム国立美術館(スウェーデン・ストックホルム)

ルノワールと同時代の印象派の画家たちは、屋外に飛び出し“光”を描くことに挑戦した。彼らの作品には、のどかな田園風景や涼しげな湖畔など…、風景画が多く残されている。ところが、印象派の第一人者と言われるルノワールが好んで描いたのは、風景画ではなく人物画。
当時28歳のルノアールが、印象派の巨匠モネとキャンバスを並べ、セーヌ河のリゾート地を描いたのが「ラ・グルヌイ・エール」。
ともに印象派の第一人者として肩を並べながらも、二人の描き方には、はっきりと違いが表れている。
モネが、水面の光の効果など、自然描写を重視しているのに対してルノワールは、人物たちを主役に据えている。


60年の長きに渡り絵筆を持ち続けた印象派の巨匠、ピエール・オーギュスト・ルノワール。
晩年、リウマチで手足の骨がねじ曲がり、歩くことさえままならなくなっても、彼は手に絵筆を縛りつけ、毎日キャンバスに向かったという。
その筆先から生み出された作品の数、およそ6000点。見るものを思わず微笑ませてしまう、愛らしい表情。今にも漏れ聞こえてきそうな、楽しい笑い声。そして、手を伸ばせば触れられそうな、柔らかな肌。
誰もが一度は見たことのあるルノワールの作品。
なぜ彼の作品は今なお色あせることなく、世界中で愛され続けているのか?

ピエール・オーギュスト・ルノワール
Pierre-Auguste Renoir (1841-1919)

“幸福”だけをキャンバスに描き続けた印象派の巨匠。晩年、リウマチと闘いながらも、その生涯で6000点もの作品を世に残した。
風景よりも子供や女性など人の変化に魅せられ、パリ市民たちが楽しんでいる、生き生きとした姿を描いた作品は親しみやすく、早くから日本でも人気を博した。印象派の画家たちの中ではめずらしく、存命中にルーブル美術館に作品が飾られるなど、高い評価を受けた。絵画は好ましく、楽しく、きれいなものであると考え、晩年は自然で健康的、幸福感に満ちた裸婦を多く描いた。