AQUOS美術館 かくて名画は生まれた。

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毎週土曜日よる22:00〜22:30
毎週日曜日7:00〜7:30再放送

今から100年以上も前に描かれた一枚の絵画。
名画の放つ色彩…そしてその筆遣い。
画家が持てる情熱を全て注ぎ込んだ絵画に向き合う時、あなたはそこに何を見るであろうか?

絵画の数だけドラマがある。そして見る者の数だけ感動がある。
絵画は人生を変える。画家も、そして見る者さえも…

ゴッホ Vincent van Gogh

#2 『タンギー爺さんの肖像』

4月12日O.A.(13日13:00 再放送)
7月12日O.A.(13日再放送)
声の出演 西村雅彦(ゴッホ役)
テーマ音楽:宮川彬良
『タンギー爺さんの肖像』

「タンギー爺さんの肖像」

所蔵:ファン・ゴッホ美術館(オランダ・アムステルダム)

ゴッホが、通っていたジュリアン・タンギーの画材屋はパリ・モンマルトルにあった。ゴッホにとって、タンギーはもっとも心を許せる大切な友人であった。そんな彼をモデルに1887年、ゴッホの代表作でもあるこの絵を完成させる。心の暗闇を抜けゴッホがパリという光の扉を開けた時、真っ先に彼を迎えてくれたのはモンマルトルの画商タンギー爺さんであった。この絵の中にゴッホの理想が描かれているという。そしてゴッホがパリを去る理由もこの絵の中にある。

「花魁」

所蔵:ファン・ゴッホ美術館(オランダ・アムステルダム)

ゴッホは画商が大量に仕入れた日本の浮世絵を目にし、その大胆な構図、色彩、そして力強い輪郭に魅せられた。 浮世絵の模写を繰り返すことによって、彼は、「日本」のイメージを紡ぎだしていった。 日本の浮世絵とのこの運命の出会いによって、ゴッホは、自分が進むべき道を見つけたのである。その道の先に待っている理想郷を求めて彼は歩き出した。ゴッホが描いた理想郷とは一体なんだったのか?

突如としてパリを発ったゴッホが向かった先は、南仏・アルル。
ゴッホは、光に満ちた日出ずる国、日本の姿を求めてアルルにやってきたのである。
南仏にいけば、日本と同じ何かを見出せると強く確信していた。彼は、日本の浮世絵の世界をアルルののどかな田園風景に重ね合わせた。
新しい芸術を目指す画家仲間をアルルに呼び、お互いに刺激を与えながら一緒に制作できるようなユートピアを作ろうと考えていた。
その拠点としてラマルティーヌ広場に黄色く塗られていたのでゴッホが『黄色い家』と名付けた家を借りた。アルルに来てからのゴッホは黄色が取り憑いた・彼が当時描いた寝室も黄色にあふれている。
そんなユートピアの仲間の一人として、一番に誘われたのが、パリで毎晩のように熱く芸術論を闘わせたあのゴーギャンであった。
1888年 夏
アルルの町に輝く季節がやってきた。
ゴッホが求め続けた光の世界がそこにあった。
彼のカンヴァスも眩いほどの輝きを放ち始めるのである。

フィンセント・ファン・ゴッホ
Vincent van Gogh

印象派の時代に活躍し、最もドラマティックな生涯を送った不世出の天才画家、フィンセント・ファン・ゴッホは、生涯で2000点を超える作品を描きながらも、たった1点の絵しか売れなかった不遇の画家。彼はなぜ「ひまわり」を描いたのか、なぜ日本に憧れていたのか、彼の人生を振り返ると数多くの絵画の謎が紐解かれていく。