#8 恋の罪 2013年11月20日(水)放送

夏目漱石&森鷗外

夏目漱石 肖像写真:日本近代文学館所蔵
森鷗外 肖像写真:文京区立森鷗外記念館所蔵

ゲスト

作家 高橋源一郎

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2人の文豪が「恋の罪」をテーマに描いた2大作品

これまで数々の文学がテーマに掲げてきた恋・・・。「一途な愛」「恋の駆け引き」「道ならぬ恋」・・・。その中にあって、明治から大正にかけて発表された2つの作品は、「恋の罪」をテーマに描き、百年を経た今なお、多くの人々に愛読されています。一つは、夏目漱石の「こころ」。主人公の「先生」と語り手である「私」との出会いからはじまる物語です。先生は言います。「恋は罪悪ですよ。」と。その後先生は、ずっと抱き続けていた「恋の罪」を、遺書という形で私に告げ、自ら命を絶つのです。そこには、あまりにも衝撃的な内容が綴られていました。小説「こころ」は、近代日本の国民的作家として知られる、漱石晩年の傑作です。もう一つの作品は、森鷗外の「舞姫」。主人公の、エリート外交官「太田豊太郎」は、留学先のドイツで、禁断の恋に落ち、もがき苦しんでいきます。そして最後に、取り返しのつかない「恋の罪」を犯してしまい、こう吐露するのです。「ただただ自分はゆるすべからざる罪人である。」と。小説「舞姫」は、日本に初めてロマン主義をもたらした作品と称されています。近代文学を牽引し続けた2人の巨匠は、「恋の罪」を通して、何を表現しようとしたのでしょうか?そこには、時を超え、現代の日本人への問いかけも込められているのです。

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明治期に人々が抱えた「恋の罪」を描いた「舞姫」

江戸時代までの封建制度が崩壊し、あらゆる文化・思想が一変。知識階級は西洋の新たな考え方と向き合うことになってゆきます。「自由」「平等」「恋愛」。森鷗外が短編小説「舞姫」を発表したのは、ちょうどその頃、明治23年のことでした。主人公の太田豊太郎は、東大卒の若きエリート官僚。若干22歳で、ドイツ・ベルリンへと留学します。勉学に勤しみ、夢のような3年が過ぎた頃、町のはずれで、一人さびしくすすり泣く、少女と出会うのです。名はエリス。貧しき踊り子の少女でした。ここから豊太郎の恋がはじまったのです。やがて2人の仲は同僚たちに密告され、豊太郎は官僚の職を解かれてしまいます。しかし、豊太郎に後悔はありませんでした。エリスとの恋は、豊太郎が人生で初めて踏み切った、自分の道。そこには、貧しくも確かな「幸せ」がありました。そしてエリスは、豊太郎の子を身ごもるのです。そんな恋に溺れる豊太郎の前に、親友で官僚の、相澤謙吉が現れます。相澤は豊太郎に、官僚復帰の足掛かりとするため、エリスとの関係を断ち、大臣の元で働くよう説得します。そして大臣からは、ロシアへの随行が命じられるのです。豊太郎の心は揺らぎます。貧しくとも愛のある暮らしか。官僚としての栄達か。そしてエリスには何も告げぬまま、豊太郎はロシアへと旅立ってしまいます。しかし毎日のように届く、エリスからの手紙。そこには、一途な恋慕の情が連綿と綴られていました。そんな豊太郎に下されたのは、日本への帰国命令でした。人生の大きな決断を迫られた、豊太郎。エリスを取るのか、名誉を取るのか。そして豊太郎は、恋ではなく自分の将来を選ぶことを決意します。豊太郎の帰国の意思を伝え聞いたエリスはあまりのショックに、心を病んでしまいます。愛する人を捨て、立身出世を選んだ豊太郎。それが、鷗外が「舞姫」で描いた、「恋の罪」だったのです。

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大正期に人々が抱えた「恋の罪」を描いた「こころ」

時代は、「舞姫」が描かれた明治から大正へと変わり、民主主義が急速に発展。大正デモクラシーの思想の下、男女平等や団結権などが叫ばれます。人々が「個人の権利」を求める時代へと変わりつつあったのです。夏目漱石が長編小説「こころ」を朝日新聞に連載したのはちょうどその頃、大正3年のことでした。主人公の先生が抱いた「恋の罪」が物語の語り手である私に「遺書」という形で告げられます。学生時代、田舎から上京した先生は、下宿先の奥さんの一人娘「お嬢さん」と出会い、恋心を抱くようになります。それからしばらくして同じ下宿先にやってきたのが、先生の旧知の親友、「K」でした。Kは、先生も一目置くほど優秀で、異性になど見向きもせず、ただ自分の道を信じ、愚直に精進していた青年です。しかしそんなKが、あるとき突然、先生が心を寄せていたお嬢さんへの愛の気持ちを、告白してくるのです。Kの告白を聞いた先生はうろたえます。先生は、なんとかその思いを留まらせようと、 卑劣にもKの自尊心を揺さぶるのです。恋などに惑わされず、ただひたすら精進を重ねていたKにとって、それは自分の全てを否定されるかのようなことだったのです。一方先生は、Kがいない隙を見計らって、突然奥さんにお嬢さんと結婚させてくれるよう切り出し、了承されます。すると数日後奥さんから、先生とお嬢さんが結婚することになったと聞かされたKは、一通の遺書を残し、自ら命を絶ってしまうのです。先生は、ガタガタと震えながら、真っ先に遺書に手を伸ばします。Kは自分の仕打ちを苦に、自殺したのではないか?友の死を悼むより、自分の保身しか考えなかったのです。しかしそこには、先生に対しての恨みごとは何一つ書いてありませんでした。そこから先生は罪の悩みを抱えて生きていくことになったのです。自分の恋を貫くため、親友を裏切ってしまった先生。それが、漱石が「こころ」で描いた、「恋の罪」だったのです。

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「舞姫」は森鷗外自身が抱えた「恋の罪」の物語

江戸時代末期に、津和野藩の御典医の嫡男として生まれた森鷗外は、6歳のとき、明治維新という大変革を迎えます。中央集権化により、藩体制は崩壊。それは森家にとって禄を失うことを意味しました。家長としての鴎外には、新たな時代の森家の運命が委ねられていたのです。家のために立身出世を目指した鷗外は、東大医学部を卒業後、ドイツに留学。しかしそこで「舞姫」の主人公同様、恋に落ちるのです。女性の名は、エリーゼ・ヴィーゲルト。陸軍軍医と異国の女性との恋。しかしそれは当時あってはならないものだったのです。そして鷗外もまた、豊太郎同様、愛する人をドイツに残し、帰国します。するととんでもない事件が起こるのです。鴎外が帰国して、わずか5日後。なんとエリーゼが、鷗外を追って、日本へとやってくるのです。鴎外の立身出世を阻む一大スキャンダル。森家や陸軍省は、エリーゼを鴎外に会わせることなく、ドイツに追い返そうと密かに説得に当たります。しかし、鷗外の親族や上司たちの日記には、事の重大さを知りながら、鴎外が何度もエリーゼに、密かに会いにきていたと克明に記されています。しかし来日から36日後、森家総出の説得により、エリーゼは泣く泣くドイツへと帰ってゆくのです。立身出世のため恋を断ち切った鴎外は、その後陸軍軍医の最高位、陸軍軍医総監にまで登りつめます。しかし、鴎外は人生の最後にあたり、遺言にこう書き記しています。「私は、石見国の森林太郎として死にたい。あらゆる外形的取扱いを辞めてもらいたい。森林太郎として死にたいのです。」家や国家に人生の全てを捧げた、森鷗外。死に際してはじめて、森林太郎個人としていきたいそう願っての、最後の言葉だったのです。

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「こころ」に描かれた「恋の罪」は夏目漱石の「こころのあり方」

「こころ」の連載が始まった大正3年、漱石は、学生たちに向けて行った「私の個人主義」という講演の中で、若い頃の思いを語っています。大学は出たものの、「教師という何の興味も持てない仕事についてしまった不安」。そして「霧の中に閉じ込められているような孤独」。その不安と孤独を抱いたまま漱石は、教師として地方で過ごし、その後、イギリス・ロンドンに留学します。そこである言葉と出会い、その不安や孤独から解放されたと語っています。それが「自己本位」という言葉でした。他人の意見に流されることなく、自分自身の力で道を切り開くこと。それが漱石にとっての「自己本位」、すなわち「個人主義」でした。しかし「個人主義」という考えを突き詰める中で、他者とどう向き合うかという問題が浮かび上がってきたのです。「利己主義」や「自分勝手」ではない、他者との関わりを持つこと。それが漱石のたどり着いた本物の自己本位だったのです。「虞美人草」「三四郎」「それから」そして「こころ」。漱石はその後、「恋の罪」を通して、自己と他者のあるべき姿を絶えず問い続けてゆきます。小説「こころ」で、主人公の先生を「恋の罪」から解き放つのは、物語の語り手である「私」の存在です。「先生」は、何度も「私」に問いかけます。「あなたは真面目ですか?」あなたは自分の「こころ」としっかりと向き合っているのか?それは夏目漱石が訴え続けた「悪しきこころの時代」を生きる私達への警鐘でもあるのです。

日比野克彦

日比野の見方「だれ?」

日比野の見方 彼らが新しい時代を迎える中で、模索し続けたのは、新たな「自分」という存在。そしてその自分という存在を知るために、他人という存在を知ろうとしたのではないか。でも他人とはわからないもの。そして他人の存在によって、自分の存在は揺らぎ、変わっていってしまうようなところもある。だから自分で自分がわからなくなる。互いに「だれ?」と絶えず聞くような存在。そうした自己本位的な「もう一人の自分」というものを見つめ、確立しようとした試みが夏目漱石と森鷗外の作品に描き出されている本質だったのではないか。

小川知子

小川知子が見た“巨匠たちの輝き”

後をひく収録でした。収録から時間がたつほどいろいろ考えが頭グルグル。「恋の罪」というストーリーで夏目漱石と森鴎外が言いたかったこととは?三角関係や異国での恋というストーリーの裏には「人間とは?」という大テーマが隠されていたのですね。わかりにくいです!恋の話のようでそれだけではなかったのですね。でもゲストの高橋源一郎さんの解説で、わかったような気になれましたよ。文豪と言われる日本の2トップの2人ですが、一筋縄ではいかないのがさすがです。日々刻々と変わるこころ、すぐそばにある厄介な存在です。