報道1930

毎週月〜金 よる7時30分〜8時54分 生放送

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クリヤ・マコト:ピアノ

ウェストバージニア大学にて言語学を学ぶ傍らライブ活動を開始。卒業後はピッツバーグ大学にてジャズ講師を務め、同時に米東海岸各地でジャズピアニストとして活躍。グラミー受賞者チャック・マンジョーネ・グループに参加するほか、ジェームズ・ムーディー、ドナルド・バードなど多くのジャズの巨匠と共演。帰国後、自らのグループで活動を開始し、これまでに18枚のアルバムをリリース。
10回以上の欧州ツアーを行い、ブラジル・ツアー、オーストラリア・ツアー、モロッコ公演、台湾公演、エジプト公演、インド公演も成功をおさめる。ポーランド国営ラジオ、ハンガリー国営テレビにて自己のグループのライブ番組がオンエアされ、イギリスBBCラジオ、アメリカ国営放送局VOAのジャズサイトにて特集が組まれるなど、常にワールドワイドな活動を展開。2014年にはロンドンの老舗ジャズクラブにて5日間連続の「Tokyo Jazz Week」をプロデュース。またポーランドの「民主化25周年記念式典」に招聘され、ワルシャワ王宮にて大統領などの前でパフォーマンスを行った。
時にジャズという枠に収まらぬ多才ぶりを発揮し、平井堅、八代亜紀などポップスのプロデューサー、映画音楽監督としても活躍中。

納浩一:ベース

大学卒業後バークリー音楽大学に留学し、クラーク・テリー、スライド・ハンプトン、タイガー大越、トミー・キャンベルなど、多くのミュージシャンと共演。'85、'86年度のバークリー・エディ・ゴメス・アウォード受賞。卒業後帰国し、渡辺貞夫グループのメンバーや森山良子グループのバンドリーダーとして活躍。また桑田佳祐、石井竜也、平井堅、マンディ満ちる、Birdなどポップス系ミュージシャンのレコーディングおよびツアーにも参加。
自己のソロアルバム「琴線」をリリースするほか、ジャズカルテット「EQ」でも多くのアルバムをリリース。驚異的なフレージングを奏でるウッドベース、なめらかなビートを刻むエレキベース共に優れ、まさに日本ジャズシーンを代表するトップベーシストの一人。リットーミュージックから出版した譜面集「ジャズ・スタンダード・バイブル」シリーズは、出版不況の中驚異的な売上げを記録している。

則竹裕之:ドラム

1985年THE SQUAREに加入してデビュー。米国PLAYBOY JAZZ FESTIVALへの出演、10 回に及ぶ日本ゴールドディスク大賞JAZZ部門受賞など、在籍15年渡ってフュージョン界のトップフロントで活躍。99年にはソロアルバム「DREAMS CAN GO!」を発表。
退団後は渡辺貞夫クインテット、渡辺香津美グループ、本田雅人グループ、unit asia、BATTLE JAZZ BIG BAND、DIMENSION等のメンバーとしてツアー、レコーディングを行う傍ら、2010年より平原綾香の全面的な信頼を得るドラマーとしてレギュラーメンバーを務める。
また、神保彰とのツインドラムユニット「Synchronized DNA」ではワールドワイドな活動を展開し、モントリオール・ドラム・フェスティバルなどに出演して注目を集めた。昭和音楽大学講師も勤め、後進の指導にも意欲的に取り組んでいる。

エリック・ミヤシロ:トランペット

小学生でトランペットを始め、中学からプロ活動を開始。ジャズや多数のオーケストラで活動し、地元の天才少年”してテレビ、ラジオの出演依頼が殺到。高校時代、全米高校オールスターバンドにハワイ代表として参加し、NYカーネギーホールで憧れのメイナードファーガソンと共演した。高校卒業後、奨学金(Maynard FergusonScholarship)を得てバークレー音楽院に入学。ボストン市内でスタジオミュージシャンとして活動を開始。またバディーリッチ、ウディーハーマンなどのビッグバンドにリードトランペットとして招かれ、世界各国をツアー。89年に来日後は、トップ・スタジオミュージシャンとしてアルバム、テレビ、ツアーサポートを行うほか、吹奏楽、オーケストラ、学校講師、クリニック、作曲、アレンジ、プロデュースなど幅広い活動を展開。2013から”Blue Note Tokyo All Star Jazz Orchestra”のリーダー/音楽監督を務める。

本田雅人:サックス

小3でサックスを始め、国立音大時代にはジャズオーケストラに所属。山野ビックバンドジャズコンテストに初出場で初優勝、最優秀ソリスト賞を受賞。在学中から「原信夫とシャープス&フラッツ」のリードアルト奏者を務める。卒業後は、日本のトップアーティストのツアーをサポートするかたわら、レコーディングミュージシャンとしてジャンルを問わず多数アーティストの作品に参加。1991年には、フュージョングループ「T-SQUARE」に加入し、フロントを飾ると共に作曲・アレンジでも新風を巻き起こす。1998年、T-SQUAREを退団しソロアーティストとして活動開始。自己のユニットのほか、「Witness」「B.B.Station」「Four of a Kind」「Voice Of Elements」等に参加し、マリーンとのコラボアルバムではビッグバンドアレンジおよびプロデュースを担当した。数多くのセッション、レコーディング、アレンジ、プロデュースなどで活躍中。

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