榊原・嶌のグローバルナビ


Big name

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第377回 2008年4月5日 放送

1957年、アメリカへ本格的に進出して以来、しょうゆを全米へ、そして世界中へと普及させてきたキッコーマン。今や営業利益のおよそ半分を海外が占めるまでに至っています。キッコーマンは日本の食品メーカーにあって、最もグローバル化に成功している企業の一つと言えますが、対米進出から50年を超すこれまでの道程は、決して平坦なモノではありませんでした。当時のアメリカでは、しょうゆはまさに異なる食文化で、まったく初めての体験という人がほとんど。食文化というハードルに閉ざされたそんな未開拓の市場をキッコーマンはどのようにして切り開いていったのでしょうか。

そのアメリカ市場の開拓に於いて、重要な役割を果たしたのが「デモンストレーション」と呼ばれる試食会です。『アメリカ人に醤油を体験してもらいたい…』。その思いから、週末が来るたびに、アメリカの各地でデモンストレーションを繰り返したのです。現在でも、街のスーパーマーケットで頻繁に行われています。このデモンストレーションによって醤油の味や風味をアメリカ人は知りキッコーマンは売上げを伸ばしていきました。

そしてもう一つ決め手となったのが、オリジナルのレシピです。しょうゆの味を知ってもらうことと同時に、アメリカ人の食生活の中でどのように使ったらいいのかを伝えられなければ、購買には結びつきません。しかも、そのレシピは和食ではなくアメリカ人の普段の食事、というのがポイント。そうしなければ、食文化の壁を越えられないからです。まさに「郷に入っては郷に従え」という諺の通り、日本食を広めるというよりも異なる食文化の中で、その土地の料理にしょうゆを使ってもらおうと考えました。キッコーマンは、アメリカに進出して以来、膨大な数のレシピを開発してきました。醤油にワインや砂糖などを加えた「テリヤキソース」も、こうしてレシピを開発する中から生まれ大ヒット商品となったのです。

店頭でのデモンストレーションと新しいレシピの開発。その積み重ねによって、アメリカでは、キッコーマンは地元のブランドと認知されるほどに親しまれています。そして、その成功体験を手に、キッコーマンは今、ヨーロッパ市場での展開に注力しています。この10年余り、ヨーロッパ市場は好調で二桁成長が続いていますが、しょうゆ類の出荷量は、アメリカの10分の1にも及びません。国ごとに多様な食文化を持っているため、その地域ごとに戦略を練らなければならず、一筋縄ではいかない市場ですが、本格的な成長はまだまだこれから。キッコーマンでは、ヨーロッパ各国の食生活にしょうゆがどうのように活かせるかを探りながら、しょうゆの普及を進めています。  しょうゆと世界の食文化との融合、それがキッコーマンの世界戦略です。

「しょうゆは、日本の食文化の中心となるものの一つであると考えています。したがって私たちは、しょうゆを海外で販売することは、日本の食文化を紹介することを意味すると考え仕事をしています。今、海外で、日本の食文化が評価されるようになってきましたが、しょうゆはその橋渡しの役割を果たしているといえるのではないでしょうか」


キッコーマンがアメリカ進出して今年で51年目。51年前といえば、まだまだ日本は遠い国で、日本の国際的な地位も高くはなかったときです。そのときから茂木会長は「しょうゆ文化はアメリカでもいける」と考えていらしたそうです。また、対米進出に当たっては、今でこそ多くの企業が異口同音に言う「現地化」を当時から実践。決して順風満帆ではありませんでしたが、今では、「SOYSAUCE」と言うよりも「KIKKOMAN」と言った方が通じるくらいに浸透しています。高校時代にアメリカに留学した榊原さんは、「鞄にしょうゆを入れていった」そうです。今では考えられないことです。

考えてみれば、世界を席巻している「寿司ブーム」もキッコーマンが先にしょうゆを広めていたから?ということも一助になっているのではないでしょうか。しょうゆ無しのお寿司なんて考えられませんから。キッコーマンでは、南米やアフリカへも将来的には本格的に進出しようと考えているそうです。しょうゆが「世界の調味料」になる日がやってきそうです。

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