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第348回 2007年9月8日 放送

2003年。日本経済がデフレ不況と金融不安の真っ直中で喘いでいたとき「産業と金融の一体再生」を掲げる産業再生機構が誕生しました。政府の総合デフレ対策の目玉とされた、いわば官製の企業再生ファンドです。

その産業再生機構の専務兼COOを務めたのが、冨山和彦さんです。銀行が抱える不良債権を厳格な査定を行った上で買い取り、経営不振に陥っている企業に大手術を施して再建への道筋をつける…。産業再生機構が担ったのは、日本経済の「救急病院」としての役目でした。

第1号案件は、熊本の「九州産業交通」など3社。スタート当初は、金融機関が産業再生機構の厳格な姿勢を敬遠。なかなか大型案件を持ち込もうとしませんでした。しかし、2004年…最初の大型案件、カネボウへの支援が決定します。再生機構は、カネボウ再建にあたって化粧品事業を分社化し花王へ売却。また、そのカネボウ化粧品の経営トップに当時まだ41歳の若手幹部を抜擢し注目を集めました。

巨額の債務を背負い、不良債権問題の象徴的な存在だったダイエーも再生機構の支援を受けました。ダイエーの再生機構入りを巡っては当時の社長がぎりぎりまで抵抗。官民入り乱れての大騒動となりましたが、大胆なリストラと複雑な権利関係の調整は再生機構だから出来たと、いわれています。再生機構は、この他にも三井鉱山、大京、ミサワホームホールディングスなどの案件を手がけます。そして、4年間で合計41社に対して、およそ1兆円の資金を投じ433億円の利益剰余金、つまり黒字を残して解散したのです。

そして今年4月。使命を終えて解散した産業再生機構の出身者が中心となって新たな会社が設立されたのです。新会社の名前は、「経営共創基盤」。冨山さんは、CEOに就任しました。今度は純然たる民間企業の立場から再生ビジネスを展開していこうというのです。従来の企業再生ファンドと異なるのは、資金よりも人材の投入にこだわる姿勢。冨山さんによると「人材を派遣するといっても、単なるアドバイザーとして行っても意味が無い。日本の場合は一人でいってもダメで、その会社を動かす役職に、チームで派遣して会社を変えていくことが重要」とのこと。

経営共創基盤では、顧客となる企業のあらゆるレベルに人材を派遣し共に現場で汗をかく、というのが基本方針です。更に、冨山さんは「支援には『時間の概念』が重要。ファンドは投資家の時間軸に規定され、短期での話になるが、我々は長期的な視野で、その企業の時間軸に合わせることができる」と、長期的なスタンスで再生をアシストすると強調。この点でも再生ファンドとは一線を画しています。また、顧客企業が置かれているステージに応じて、経営再建だけでなく更なる成長をも支援。いわば「人材派遣型成長支援」という新たなモデルを構築しようとしているのです。

「人間性×能力=人間力」
これからのトップには、胆力や情熱といった「人間性」と、現実を見据え、自分で考える「力」が必要です。いわば「人間力」です。

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