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第236回 2005年7月2日放送アステラス製薬 竹中登一社長

「2005年に新しい会社が突然誕生したと思われたい」と語るアステラス製薬の竹中登一社長。アステラス製薬は、2005年4月、業界3位の山之内製薬と5位の藤沢薬品工業が合併して新しく誕生した。ちなみに、アステラスとは、A=one, stella=ラテン語で星という意味を一緒にした「一番星」という意味だそうだ。「山之内」、「藤沢」というブランドを捨ててしまったのは惜しいような気もするが、「国内でダントツの1位、世界の10位以内に入ること」を目指して、「世界で戦うために一からスタートする決意の表れ」なのだ。

しかし、なぜ大型合併に踏み切ったのか?そこには、日本の医薬品メーカーも、厳しいグローバル競争に巻き込まれ始めたという現実がある。規制緩和によって、外資系大手の日本市場におけるシェアは、1996年まではゼロだったが、2004年度には37%にまで急速に高まっている。

世界規模でみると、欧米メーカーの大きさが一段と際立つ。売上高で比較すると、第1位がアメリカのファイザーで461億ドル。次いでフランスのサノフィ・アベンテス(346億ドル)、イギリスのグラクソ・スミスライン(330億ドル)などと欧米企業が上位を独占している。一方、日本勢となると、国内1位の武田薬品工業でも14位の88億ドル、合併したアステラス製薬は16位の81億ドルにとどまっている。ファイザーと比べると5分の1程度の規模でしかない。

こうした圧倒的な規模の差を跳ね返し、世界のトップ10入りを目指すアステラス製薬は、研究開発型企業として存在感を高めようとしている。もちろん、医薬品メーカーにとっての研究開発とは、有力な新薬を開発をすることだ。しかし、これは並大抵の努力と資金では実現できない。

新薬の開発には最短でも10年、ものによっては20年以上もかかる。コストも一品当たり300億円〜500億円、ものによっては1000億円も必要となる。これだけの膨大な時間とコストをかけても、新薬に結びつく確率は1万2000分の1以下だと言われている。まるで宝くじを当てるくらい難しいことだ。そのため、竹中社長は「資金力や研究員はあっても足りないくらい大切だ」と強調した。ちなみに竹中社長は、山之内製薬時代は研究部門一筋で、新薬を4つも発明した実績を持つ。「運がよかった」と謙遜されたが、宝くじを4回も当てることなど運でできることではないです。

アステラス製薬が誕生してから既に3か月が経過した。異なる企業風土の融合は進んでいるのだろうか?この問いかけに対して竹中社長は「スピードを早めなければ、どんどん遅れてしまう」と考え、すべての統合作業を100日で終える『100日プラン』を実行した。「企業風土はルールでできている」との考えのもと、合併前の2社のルールに縛られるのではなく、アステラスのルールを新しく作ることから始めた。そして、社内LANを活用して、社長自らメッセージを発信したり、社員からの質問コーナーを設けたり、はたまた社内用語を統一するための社内用語集まで作った。この100日プランが終了したら、『統合』や『融合』という言葉はいっさい使わないと宣言している。

さて、医薬品業界を取り巻く環境を見てみると、今、業界を震撼させているのが「2010年問題」である。2010年前後に、世界中の有力な新薬の特許が相次いで失効するというものだ。この特許切れによって、世界合計で約7兆円の売上高が減少すると試算されている。しかし、竹中社長は、こうした悲観的な見方に異を唱える。

技術開発と新薬の発明をみると、有機化学が進んだ1900年代初めにはアスピリンなどの薬が生まれた。1990年代は分子医学やバイオ技術によってインスリンなどの薬が発明された。そして次のサイクルがちょうど2010年頃に来ると竹中社長は見ている。その新技術とは「BIN」(B=バイオテクノロジー、I=インフォメーション、N=ナノテクノロジー)。「薬はビンの中に入っていることもあって」と竹中社長が名付けたこの「BIN」技術によって、新しい薬が生み出されていくと強気の見方を示した。

現在、アステラス製薬の海外売上高は欧米向けを中心に約40%の水準だ。今後は、成長著しいアジア市場にも注目している。そのためにも、世界市場で通用する新薬を作っていかなければならない。竹中社長は「マラソンで例えると、山之内時代は第3走者の後ろを走っていた。今、ようやく第1集団が見える位置まで来た」と語った。合併の真価が問われるのは、まさにこれからだ。

語録 〜印象に残ったひと言〜
  • スピードを持たないと、どんどん差が出てしまう
  • 統合作業は100日で終わらせる
  • 海外メーカーは我々の脅威であり目標である
  • 目指すのは世界のトップ10入り!
亜希のゲスト拝見

朱色のネクタイにグレーのスーツという「アステラス・カラー」で番組にご出演された竹中社長は、社長に就任するまで一貫して研究部門を歩んでこられた方です。そのため、社長の話が来たときはとてもビックリしたそうです。

お話の中でも「世界の病気の4分の1は原因が分からず薬もない。だからこそ新薬を発明し、その薬で人々を健康にして、経済を活性化していく役割がある」との熱い想いを語っていらっしゃいました。

大学時代は獣医志望の野球少年だったそうですね。ちなみに野球ではキャッチャーだったそうです。愛知県の海のそばで育った竹中社長は、「本当は海が好きで水族館の館長になりたかった」そうです。映画『ディープ・ブルー』がお好きで、水族館には今も足を運んでいらっしゃいます。

「ジンベイ鮫は本当に甚平服を着ているようなんですよ」と楽しそうにお話されている時のお顔は、経営者ではなく、まるで少年のような笑顔でした。