#7 「生類憐みの令」 2012年11月14日放送

#7 「徳川光圀 VS 徳川綱吉」

#7 「徳川光圀 VS 徳川綱吉」
#7 「徳川光圀 VS 徳川綱吉」

時は江戸時代。戦乱の世が終わり、人々が泰平の世を満喫しはじめた頃、突如、奇想天外なお触れが現れます。それが「生類憐みの令」です。 「天下の悪法」とも言われたこのお触れを出したのは、徳川五代将軍・綱吉。 そんな綱吉を批判したのが、「水戸黄門」としてもお馴染みの、徳川御三家水戸家の当主・徳川光圀でした。天下の将軍を批判した光圀は、江戸の人々の喝采を浴びます。 しかし、「生類憐みの令」には綱吉のある信念が秘められていたのです。 そして、名君といわれた光圀にも意外な過去が・・・。 今回は稀代の名君・徳川光圀VS悪名高き天下の将軍・徳川綱吉のライバル対決に迫ります!!

綱吉を将軍にしたのは光圀だった!!

徳川四代将軍・家綱の時代、幕府の統治方針は、武力によって統治する「武断政治」から、学問や法令の拡充によって世を治める「文治政治」へと変わっていきました。 家綱の弟であった綱吉は、若くから学問に親しむ秀才でした。綱吉が将来将軍になるとは誰も思ってもいませんでした。 家綱が跡継ぎを残さず病床に倒れると、後継者問題が巻き起こります。 その時、綱吉を将軍に推したのが、光圀でした。次期将軍には将軍家に最も近い血縁である綱吉がふさわしいと主張したのです。 こうして五代将軍・綱吉が誕生しました。 なんと天下の愚将とも呼ばれた将軍・綱吉を生み出すきっかけを作ったのは、光圀だったのです。

#7 「徳川光圀 VS 徳川綱吉」

天下の悪法「生類憐みの令」 そこに隠された真意とは・・・・

将軍となった綱吉の政治は、徐々に独裁色を帯びていきます。そして出されたのが、「生類憐みの令」。あらゆる生き物の殺生を禁じるこの法令により、江戸庶民の生活は大混乱。綱吉への不満が高まりました。 そんななか、綱吉の下に光圀からの献上品が・・・。その中身はなんと、犬の毛皮!!光圀は「生類憐みの令」を真っ向から批判したのです!! 光圀は江戸庶民から喝采を浴び、反対に綱吉は「犬公方」と揶揄されました。 それでも、綱吉はこの法令に生涯こだわり続けます。 この法令の目的は、単に犬を守ることではありませんでした。 殺生をすることの愚かさを認識させる、いわば人々の意識改革にあったのです。これは現代にも通じる先駆的な倫理観。綱吉の信念は江戸時代には早すぎたのかもしれません。

高橋英樹の軍配は…

「生類憐みの令」という御触れは、決して悪いものではないと僕も思うんです。 解釈や考え方で、結果的に悪法になってしまった。 しかしこの番組は「BS-TBS」で放送していますよね? がんばって綱吉を弁護してくださった加来先生、偉いです! ですが、TBSで光圀さんを悪くは言えません!これは逆らえない! よって、水戸光圀! でも演じてみたいのは綱吉ですね。 綱吉というと悪のイメージしかないですが、その実像はどんな人物だったのか、これはぜひ、演じてみたい。

加藤シルビア

加藤シルビアが見た“ライバル対決”

やはり私もみなさんの意見と同じように、綱吉には『犬公方』というイメージしかありませんでした。しかし、自分の信念を貫き、やり方は間違えていたかもしれないけれどもしっかりとした目的意識のあった方なのだということを知ることができました。 光圀の、あまり語られていない過去も衝撃でした。 しかし、どれだけ確固とした信念があっても、やり方と、周囲に理解してもらうことが大事だということを改めて学びました。