#5 「武士団の興亡」 2012年10月31日放送

#5 「平家 VS 源氏」

#5 「平家 VS 源氏」
#5 「平家 VS 源氏」

平安時代。貴族の世から武士の世へと移り変わる歴史の転換点。 朝廷との関係を深め、権益を広げる平氏一族。一方、武士として平氏に先んじて台頭する源氏一族。しかし、平氏との戦いに敗れ、源義朝が討たれます。これがきっかけで処刑されるはずであった義朝の息子、源頼朝が20年の時を経て現れます。ここで、父と子ほどの歳の差ライバルが誕生するのですが、では何故処刑されるはずであった頼朝は生き延びることができたのでしょうか。それはある一人の嘆願がきっかけで、清盛が死の床で悔やむほどの壮絶なドラマが生まれるのです。さらに、陰でほくそ笑むフィクサー、後白河院が登場します。源平合戦の真の勝者は一体誰だったのでしょうか?日本を二つに分けた平安史上最大のライバル、源平の戦いの真相に迫ります!

保元の乱がきっかけで源氏と平氏はライバルになる

保元の乱は皇室の中の争いなのですが、彼らは直接的な武力を持っていません。そこで二つの武士団、平氏と源氏が活躍するのですが、実は最初は仲間同士だったのです。虚けものと呼ばれた後白河陣営と院の権力を持とうとする崇徳陣営という二つの対立ができます。では、ここでは誰がキーパーソンとなるのか。それは院政を敷いていた鳥羽院の側近、信西です。信西は権力が鳥羽院から崇徳院になることを阻むため、虚けもの後白河天皇を利用します。これにより信西ら鳥羽院派の流れを組む後白河天皇派対、崇徳院派の対立。これが保元の乱です。清盛、義朝は後白河陣営につき、この戦いは後白河陣営が勝利。しかし、勝利したにも関わらず義朝は不満を持ちます。清盛は政治的な力を使うのです。

#5 「平家 VS 源氏」」

後白河暗躍と平治の乱

保元の乱後、清盛はさらに出世の道を上っていきます。一方、頼朝の父義朝は、経済力と政治力も清盛のライバルとはなり得ず、歯がゆい思いをします。そして、虚けもの後白河院も自分の立場に不満を感じます。信西は相変わらずの独裁体制で、虚け者後白河院には何もさせなかったのです。後白河院は信西を倒すクーデター計画を進めます。そこへ、頼朝の父、源義朝も同調。義朝は平氏に取って代わろうと目論み、二つの武士団、平氏と源氏は刀を向け合います。戦いは、清盛会心の勝利、天下を取ります。義朝はこの戦いで命を落とすのですが、清盛の継母の願いで処刑されるはずだった義朝の息子、頼朝の命を助ける劇的なドラマが起きます。しかし、まさか清盛はこの事で平家滅亡までになる失態をしたとは考えもしなかったと思います。

奢れる者久しからず・・・源氏の逆襲

平治の乱の恩賞で清盛は朝廷内の官職の頂点を極め、さらに孫を天皇の座に座らせる道までも開きます。しかし、周りはその隆盛を快く思わず蠢き始めます。後白河法皇の皇子の打倒平家の令旨だけが全国を駆け巡り、これを、都から離れた伊豆の地で受けとり挙兵した武将、源頼朝が立ち上がりました。遠く離れた都から受けたメッセージ。これはまさに、平家に対する源氏の仇討ちを一心に思う頼朝の信念の現れとしか思えません。しかし、清盛は熱病に冒され、死の床に伏せる。清盛は平家の行く末を憂うしかない最大の後悔が彼を襲います。死の床で思う清盛の本当の気持ちは一体何だったのでしょうか?

諸行無常

清盛の死後、頼朝率いる源氏に追い詰められた平家は壇ノ浦で滅亡。清盛が平家一門の未来を託した天皇も清盛の妻に抱かれ海の底へと沈む。平家滅亡後、頼朝は朝廷から独立した幕府を鎌倉に開き武士の世の到来を告げます。しかし、新しい時代を招来したのは、武士として初めて絶大な権力を握った清盛であったことは紛れもない事実です。しかし、その末路はあっけなく、平家一門は歴史の渦の中に消えていきました。平家と源氏のライバル対決はまさに、盛者必衰、諸行無常を描いた戦い。後白河院は平家滅亡後も院政を敷き、崩御するまで院の奥で君臨しました。真の勝者とは誰だったでしょうか?

高橋英樹の軍配は…

ふたりのこういった人物と、平氏・源氏という二つの大きな家系があったことで、大きな日本が作られたわけですよね。 そういった意味でも、平清盛も源頼朝も偉大な人物なのですが、一番大事な局面で、頼朝を殺さなかった清盛の甘さ、それがとても人間らしい。

源氏の土地優先主義も崩れてきている昨今ですし、ここはやっぱり平家に!軍配をあげたいと思います。

加藤シルビア

加藤シルビアが見た“ライバル対決”

今までで一番古い年代の話。
私もこの歴史の真相を詳しく知りたいとずっと思っていました!
平家の政策や考え方は現代に通じる部分があり、考えの深さに感動!
そして、双方の、家の隆盛への執念…鬼気迫るものがありました。