#76 2015年10月23日(金)放送 有人飛行への挑戦 二宮忠八

二宮忠八

今回の列伝は「日本の航空機の父」・二宮忠八。明治時代の飛行機開発者であった忠八の名はあまり知られていない。西洋の最新研究が何も入ってこない時代において、たった一人で世界に先駆け、飛行機の原理を発見した忠八であったが、当時日本にはその研究に理解を示すものはいなかった。そして、人類初の有人飛行の成功の栄誉はライト兄弟へ・・・。飛行機開発に人生をかけた、波乱の人生に迫る。

ゲスト

ゲスト JAXA名誉教授
的川泰宣

有人飛行に挑んだ二宮忠八

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空を飛ぶという人類の壮大な夢に挑んだ一人の日本人がいる。海外では“アメリカのライト兄弟より先に飛行の原理を発見した人物”とも紹介されている男の名は二宮忠八。明治時代にたった一人で“人が飛ぶ機械”を作ろうとし、その過程で日本初のプロペラ機を発明した。今回はその謎の天才の挑戦と挫折の物語に迫る!

一ノ鍵:カラス

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二宮忠八は慶応2年に、愛媛県八幡市の海鮮問屋の四男坊として誕生。しかし12歳になると父が他界し生活が困窮した。小学校を卒業すると奉公先を転々とすることになった忠八は、家計の足しにと凧作りを始める。形も立体的な気球凧やチラシを揚げて空から撒けるように工夫された凧など奇想天外なものばかり。それでいて他の凧よりよく揚がるとされ、「忠八凧」と呼ばれて人気を博した。忠八はやがて空への憧れを強く抱くようになっていく。その後22歳で看護卒として陸軍に入隊した忠八は、その翌年演習の帰途で思いもよらないものを目撃する。それはカラスの滑空風景だった。翼を羽ばたかせるだけでなく、固定させて空気の流れを受け止めて滑翔していることに気が付いた忠八は、「飛理の原則発見」と記し、自らその原則に基づいて「飛ぶ機械」を制作する。それが「カラス型模型飛行器」。

これこそが日本初のプロペラ機の誕生だった。実際に飛ばすと10メートル大空を飛んだという。この成功により、忠八の夢はさらに「有人飛行」へと膨らんでいく。

二ノ鍵:玉虫

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有人飛行に向け改良を進める忠八だったが、人を乗せる為に必要な操縦と大きな動力を確保しなければいけないという壁にぶち当たった。そこで忠八は神社の境内に入り浸りひたすら飛ぶものを観察する。そして出会ったのが玉虫だった。

玉虫は羽が2重になっており、前の硬い羽で揚力を得て、後ろの軟翼を羽ばたかせて方向転換を図っていることに気が付いたのだ。早速「玉虫型飛行器」の試作品を完成させる忠八。

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ところが…明治27年に日清戦争が勃発し、忠八も戦地に動員される。飛行器研究は断念せざるを得なくなったが、そこで飛行器の重要性に気が付く。飛行機が開発されれば、負傷兵も運べるし偵察や通信にも使えるのだ。早速軍の上層部にその研究の協力を仰ぐが、軍の参謀長岡外史少佐は飛ぶかどうか分からないものを検討の余地がないとあっさり却下されてしまう。

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終戦後、新聞に載っていた「石油発動機(エンジン)」という文字を見た忠八は、再び飛行機研究の熱を上げる。ところが現在にして2500万円という高級品だったため、忠八はやはり軍に支援を仰ぐことに決めた。しかし数えるだけでも7回上申書を提出し、すべて却下。忠八は絶望の淵に突き落とされた。

三ノ鍵:ライト兄弟

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明治31年、31歳の忠八は遂に軍を退役。陸軍時代に取得した薬剤手の資格を生かし、大阪の大手製薬会社に入社した。軍に見放された忠八はエンジンの資金を一人で稼ごうとしたのだ。そしてついに2年後、念願の石油発動機を手に入れる。それはなんと精米機だった。京都の精米所を、精米機欲しさに小屋ごと購入した忠八は、この地で再出発を図る。精米所に連日通い、一人籠って有人飛行器の制作に没頭した。ところが…万能に見えた精米機のエンジンは2馬力、これでは機体を動かす動力としてあまりに小さいことが分かってきたのだ。そこで忠八はアメリカから輸入されてきた12馬力のオートバイ用エンジンに目をつける。精米所を買って資金が足りなくなった忠八は再び資金調達に励み、平行して夜通し飛行機の機体づくりに励んだ。そして遂に、あとはエンジンを手に入れ取り付けるまで機体が完成した。ところが・・・明治36年12月17日、ライト兄弟が人類初の有人飛行に成功したと報道される。忠八は日記にこう記したという。「実に衝撃を受けた」「みんな壊した」と。

後日談…

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ライト兄弟の成功を知った忠八は、その後飛行機研究を断念。いちサラリーマンとしての人生を送った。そしてその蓄えた資金で大正4年、自宅に神社を建立。「飛行神社」と名付けた。普及し始めた飛行機による事故を嘆き、後世の飛行機の発展と安全の祈願に残りの人生を捧げたのである。批判を受けながらも信じた道を追求し続け、人知れず飛行機開発に挑戦し続けた二宮忠八。彼の生き様は今も多くの日本人に勇気を与え、飛行神社には彼を慕う多くの参拝客が訪れている。

六平の傑作

忠八の抱いた空への夢

空にあこがれる人はいても、実際に飛ぼうと努力する人が果たしているだろうか。
そんなありえないチャレンジを、明治という時代に成し遂げた忠八。
彼が抱いた夢そのものが傑作だと思う。