#11 2014年6月27日(金)放送 世界初の全身麻酔手術 華岡青洲

華岡青洲

今回の列伝は世界初の全身麻酔による外科手術を成功させた医師「華岡青洲」。江戸中期,紀州の農村で生まれた青洲は多くの命を救うため麻酔薬の開発に生涯をささげた。世界でもまだ前例が無かった時代に、ついに麻酔薬を開発。日本の医療革命を起こす。しかし、その過程では母や妻の人体実験を繰り返し、取り返しのつかない代償も払うことになった・・。
波瀾万丈の人生に迫る!

ゲスト

ゲスト 歴史家・作家
加来耕三
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世界初の全身麻酔手術

1804年、紀州の農村で世界の医学史に残る画期的な手術が行われた。それは全身麻酔薬を使った乳がんの摘出手術。執刀した医師の名は華岡青洲。青洲は独学で全身麻酔薬を開発し、患者に痛みを全く与えることなく、腫瘍を取り出すことに成功したのである。当時、欧米でも苦痛を取り除くことは不可能だと考えられていた。手術の度、患者は苦しみ、泣き叫んだ。そんな時代にどうやって青洲は麻酔薬を開発したのか?実はその陰には母と妻が、身を捧げて挑んだ人体実験があった。江戸時代、不可能と言われた麻酔手術に挑み、多くの人々を救った華岡青洲の壮絶な人生に迫る。

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村医者としての使命

和歌山県紀の川市。華岡青洲は1760年にこの地の小さな農村で生まれた。家は代々、村医者。長男だった青洲は、幼い頃から、父・直道の献身的な医療を見ながら育っていく。できるだけ多くの命を救うことこそ村医者の使命と、貧しい人には無料で治療を施した父。そのため華岡家の暮らしは常に貧しかった。やがて成長した青洲は、父の診療を本格的に手伝い始める。しかし、そこで目にしたのは外科治療の凄惨な現実だった。当時、麻酔というものはなく、患者たちは痛みに耐えながら治療を受けていた。足を切断しなければならない時は、泣き叫ぶ患者を抑えつけて切るしかなかった。「患者を苦しませることなく治療できないのか?」青洲はそう思うようになっていった。

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京都・伝説の秘薬との出会い

1782年、22歳となった華岡青洲は京都にいた。この頃、杉田玄白が「解体新書」を刊行。ようやく医者が人体の構造を詳しく知ることができた時代。青洲は医術が盛んな京都で内科とオランダ流の外科を学んでいたのだ。そんな時、人生を変える大きな医学書に出会う。そこには中国、三国時代の医者のことが書かれていた。その名は「華佗(かだ)」。華佗は特別な薬を使って患者を眠らせ、外科手術を行い多くの患者を救ったという。この華佗の薬こそ麻酔薬だった。しかし、その成分が何であるのか、記述はない。まさに幻の秘薬だった。ならば自分で作ってみせる。青洲は伝説の麻酔薬を再現しようと思い立つのだった。

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麻酔薬を作れ!しかしその成分は・・・毒

留学生活を終え故郷へと戻った青洲は、25歳の若さで村医者を継いだ。この頃、同郷の加恵と結婚し、妻に支えられながら村人の診察に明け暮れる。と同時に華佗の麻酔薬作りも始めた。実は薬の中には、「曼陀羅華(マンダラゲ)」が含まれていると伝わっていた。漢方薬でもあるマンダラゲの根には鎮痛作用や幻覚作用がある。しかし、これだけでは麻酔の効果は無いため、他に何かを組み合わせなければならない。青洲はわずかな時間を見つけては山に向かい、麻酔薬に使えそうな様々な薬草を集めた。中でも注目したのは強い鎮痛作用を持つトリカブト。しかしトリカブトは猛毒でもあるため多くは使えない。混ぜる薬草の種類や分量など試行錯誤を繰り返す日々が続いた。そして試薬が出来ると村の野良犬に飲ませて実験した。中には死に至る犬もおり、一時期、村から犬が消えたと言う。研究を始めてから10年後、青洲はついに動物実験に成功。この薬を「通仙散(つうせんさん)」と名付けたのだった。

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母と妻の人体実験

麻酔薬「通仙散」を医療で使うためには、人間による効果の検証が必要だった。しかし一歩間違えれば命にかかわる危険な行為。青洲は行き詰まってしまった。
そんなある日、母・於継がこう申し出る。
「実験は・・・私を使ってやりなさい」
すると、それを聞いた妻・加恵が、
「お母様、嫁である私が飲みます」
青洲の気持ちを良く知る母と妻が、互いに自分を実験台に使って欲しいと言いだしたのだ。失敗を恐れ、申し出を拒む青洲。しかし母と妻の熱意は変わらず、悩みながらも青洲は母と妻の身体を使った実験を決断する。通仙散を飲んだ母・於継は半日間、意識を失うように眠った。妻・加恵は薬が効き過ぎ、3日間も眠り続けた。このようにして青洲は、母と妻を相手に実験を続け、麻酔薬「通仙散」の改良を重ねていく。ところが取り返しのつかない悲劇が訪れる。母・於継が死去。麻酔薬の服用が原因ではないかと言われている。さらに実験を続けた結果、妻・加恵は麻酔の副作用で両目を失明してしまったのだ。その後、青洲は自らの身体を使って実験を続ける。そして作り始めて実に20年。幻の秘薬はついに、実用可能な全身麻酔薬として完成したのだった。

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世界初の全身麻酔手術

1804年、青洲の診療所を一人の老女が訪れた。藍屋勘(あいや かん)60歳。奈良から来た勘は、左の乳房が大きく腫れあがっていた。「乳がん」だった。地元の医者に、もう助からないと見放された勘は、青洲の評判を耳にし、藁にもすがる思いでやってきたのだった。青洲は通仙散を使って、全身麻酔による乳がん摘出手術に挑む決意をする。10月13日、通仙散を服用した勘は深い眠りにつく。全身麻酔が効いていることを確認した青洲は、メスを握り、素早く患部を切り開いた。そして乳房の中に手を入れ、見事な指さばきで腫瘍組織を切り取る。たった数分のうちに、青洲は手の平ほどの大きさもある“がん”を取り出したのだった。手術開始から6時間後、勘が目を覚ます。痛みを全く感じることなくガンは取り出され、副作用も無かった。全身麻酔による「がん手術」は成功したのだ。それは海外で全身麻酔による手術が行われる40年前のこと。紀州の片田舎で、世界初の偉業が達成されたのである。

六平のひとり言

現代医学の「祖」といってもいいんじゃないかな。
今だったらノーベル賞ものの偉業だと思う。
名誉欲とか、出世欲は一切なくて、ひたすら患者のためと
研究を重ねた彼の姿に、家族も「何かをしなければ」と
身をささげたんだと思う。
愛と信念の人だよね。