みんな子どもだった

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中山雅史

元サッカー日本代表。1967年静岡県出身。愛称ゴン。
藤枝東高、筑波大を経て、1990年に日本のリーグのヤマハ発動機(現・ジュビロ磐田)に入団。
J1では、最優秀選手賞1回、得点王2回、歴代最多の157ゴールを記録。
また、ワールドカップ98年フランス大会で、日本人選手として史上初得点を挙げた。

ゲストphoto

倉本聰&ゲストのサイン入り色紙プレゼント
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第1週 [ 6月2日 放送 ]

「子どもの頃、裏山を駆け回ったことで足腰が自ずと鍛えられた」と振り返る、中山雅史。
そんなサッカー少年は「良く通る声」の持ち主であり、中学時代はコーラスにも参加…
Jリーグがスタートしたとき、ヤマハ発動機で活躍していた中山は、
人生の岐路に立ち、大いに悩んだと言うのだが…


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第2週 [ 6月9日 放送 ]

多くのサポーターに惜しまれての現役を退いた中山雅史。
ライバル同士だった武田修宏とのエピソード…
そして、海外遠征、国際試合のプレッシャーなど
トップアスリートならではの体験を倉本に語る。


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第3週 [ 6月16日 放送 ]

オフト、岡田、トルシエ…
名将の元、世界の舞台でプレイをしてきた中山雅史。
それぞれの監督の個性とエピソード、
さらには、キング・ガズとの思い出を語る。


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第4週 [ 6月23日 放送 ]

指揮官である演出家・倉本聰と役者であるプレイヤー・中山雅史。
両者の理想的な関係とは?
そして、数多の怪我を克服してきた現役時代を振り返る。


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第5週 [ 6月30日 放送 ]

自宅の裏山を駆け回り、足腰を鍛えた少年時代。
そして、常に怪我と戦い続けた現役時代、そして引退の決意…
中山雅史の「原点」を未公開トークも交えて振り返る。