みんな子どもだった

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山田洋次

映画監督。1931年大阪府出身。
監督作品「男はつらいよ」シリーズで圧倒的な支持を集める。
作品中のユーモアの原点は、敗戦や戦後の貧困の経験にあるという。
「家族」、「幸福の黄色いハンカチ」、「学校」など、庶民の視点から描いた名作多数。

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第1週 [ 12月2日 放送 ]

数々の名作を世に送り出してきた山田洋次監督。
父が満鉄で働いていたために、幼少期を満州で過ごした。
そして、今… 仕事で中国を訪れるたび、
懐かしさと同時に「申し訳ない」という気持ちを覚えるという。
そのわけとは…


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第2週 [ 12月9日 放送 ]

大連で玉音放送を聞いた山田洋次少年は、昭和22年に帰国。
中学生だったがアルバイトをしなければ食べることが出来なかった毎日。
その頃、出会ったのは、「フーテンの寅さん」のモデルとなった大人たち。
笑いは、疲労を回復してくれる食べ物のようなものだと少年は気付いた。


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第3週 [ 12月16日 放送 ]

一浪して入学した東京大学での毎日は、「映研」が全てだったと言う。
木下恵介や溝口健二に憧れていた映画青年・山田洋次は、
大学卒業後、松竹に入社し、「二階の他人」(61年)で監督デビュー。
そんな山田が、倉本聰に「小津安二郎作品と黒澤明との思い出」を語った。


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第4週 [ 12月23日 放送 ]

東日本大震災の影響でクランクインが延期となった「東京家族」。
それは、小津安二郎作品「東京物語」のオマージュ作品だ。
「日本人が、今、考えなければならないこと」
「東京家族」には、そんな山田洋次の思いも込められていると言う。


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第5週 [ 12月30日 放送 ]

幼少期を過ごした満州での体験、そして、最新作にかけた思い…。
「男はつらいよ」の原点は、一体、どこに?
映画監督・山田洋次の「歴史」を未公開トークも交えて振り返る。