#22 かなしみの詩 2014年3月5日(水)放送

石川啄木「一握の砂」&中原中也「山羊の歌」

石川啄木:石川啄木記念館所蔵
中原中也:中原中也記念館所蔵

※「石川啄木」の「啄」は「」キバ付きが正しい表記です。

ゲスト

小説家 高橋 源一郎

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かなしみを描いた2人の詩人

短い言葉の連なりの中に、目に見えない心を描く。時を越え、読む人の心をとらえて離さない「詩」。その「詩」に、深い悲しみを描いた2人の巨匠がいます。1人は石川啄木。「東海の小島の磯の白砂に/我泣きぬれて/蟹とたわむる」「はたらけど/はたらけど猶我が生活楽にならざり/ぢっと手を見る」貧困と病魔におかされながら書いた歌集『一握の砂』に啄木が込めた悲しみとは。もう1人の巨匠は中原中也。喪失を重ねるたびに、彼は詩を描きました。代表作「汚れつちまつたかなしみに」で知られる詩集『山羊の歌』。中也はかなしみをなぜ汚れたと表現したのか?2人のかなしみの詩に迫ります。

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「夢を追う者のかなしみ」を描いた石川啄木

明治19年、岩手県に生まれた石川啄木。神童と呼ばれた啄木は、当時流行していた文芸誌「明星」に投稿した詩が載ったことをきっかけに「文学で身を立てる」という夢を抱きます。しかし夢は簡単にかないません。16歳で上京し、文学の仕事を探すも、体を壊しわずか4か月で帰郷。故郷では父が仕事を失い、長男の啄木は家族を支えなくてはいけなくなります。代用教員などの仕事をつとめますが、どれも長続きしません。22歳で再び上京し、小説家を志しますが、書いた小説を掲載してくれる出版社はありませんでした。挫折し、都会に飲み込まれそうになったのです。しかし、そんなある日、不思議な夜が訪れます。突然頭の中に短歌が湧き出てきたのです。3日間で281首という膨大な短歌を書き上げた啄木。そこには描かれたのは夢に破れ、縮こまる自らの姿。誰もが夢を抱き、ほとんどの人は敗れます。夢破れるかなしみを自ら経験したからこそ、啄木は多くの人が共感する歌を描けるようになったのです。

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「生きる実感を得られないかなしみ」を描いた中原中也

明治40年、山口県に生まれた中原中也。「聞き分けがよい」と言われた少年を変えたのは、7歳のときに経験した弟・亜郎の死でした。仲のよかった弟を失った幼き中也は、「生きる実感」に満たされた人生に憧れを抱くようになります。そしてそれを表現する手段として詩の世界に没頭していくのです。
18歳で本格的に詩人を志し上京。東京で、未来の文学者たちと交流します。そんなとき中也は友人たちにも「生きる実感」を求めました。酒を飲んで、暴言をあびせ、ケンカする・・・そうすることでしかコミュニケーションのとれない中也のまわりから、多くの仲間が去っていきました。そしてさらにショックなことが。同棲していた恋人が、親友に奪われてしまったのです。「生きる実感」を求めれば求めるほど失っていく。そのたびに中也は心の内のかなしみを詩にこめたのです。

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2人が描いた死のかなしみ

かなしみを描き続けた2人の巨匠は最後に同じテーマに向かいます。「死」です。石川啄木は「一握の砂」を発行したとき、死の病・肺結核におかされていました。自らの死を前に、それでも啄木は歌を詠み続けました。死後に出版された歌集「悲しき玩具」。そこに描かれているのは、どこにでもある日常の風景や感情です。「庭のそとを白き犬ゆけり。/ふりむきて、/犬を飼はむと妻にはかれる」。家に余裕もなく、残された命も短い、その中で啄木が歌う日常。希望の言葉の中にこそ、深いかなしみがこめられていました。
一方、中原中也が向かい合った「死」。それは息子の死でした。27歳のとき生まれた長男・文也。生きる実感を求め続けた中也にとって、文也はすべてをかけて愛せる「生きる喜び」でした。しかしわずか文也は小児結核でわずか2年の短い命を落とすのです。悲しみの中で、中也は文也との思い出を一篇の詩にします。『夏の夜の博覧会は哀しからずや』。子供を失うという最大のかなしみ。詩の中には心の内をストレートにはきだすように、何度も何度も「かなしからずや」という言葉が繰り返されています。

日比野克彦

日比野の見方「海」

日比野の見方 悲しみの涙で出来た海がある。そこから人類も生物もみんなやってきた。色んな経験をして人類は地上の現実世界にいたるのだけれども、啄木と中也はずっと自分のルーツにある海の底の悲しみとの間に通信網を張り巡らせていた詩人。だからこそ彼らのつむぐ詩は、読む人に共感を呼ぶ。みんなの原点にある、海の底にある悲しみを瞬時に蘇らせてくれるから。

小川知子

小川知子が見た“巨匠たちの輝き”

中原中也の世界を理解するのはなかなか難しかったです。ゲストの高橋源一郎さんのわかりやすい解説をもってしても「うーん」という感じ。でも高橋さんによると、女性で“わからない”といっている人は珍しくないそうで。反対に“中2病”といわれる少年たちは中也の詩は“びんびんくる”らしいです。男女の感覚の差、なのかもしれませんね。一方の石川啄木、どれもスッと入ってきますね。思い通りにいかない世の中への恨みを感じさせず静かな印象を持たせる読後感が、共感を呼ぶんでしょうね。人間の根底に流れる感情が「悲しみ」ということに気づかせてくれました。