「江戸のススメ」検定問題

2013年2月25日 放送更新版

問一

家々を訪ねては戸口で芸能を演じた芸人を何と呼んだでしょう?

い)大道芸人

ろ)門付け芸人

は)物売り芸人

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【回答】ろ)門付け芸人
【解説】

門付け(かどづけ)芸人は、家々を訪ねては戸口で芸能を演じて、金品を得ることを生業としていました。代表格の「新内流し」は、吉原などで客の求めに応じ、三味線を弾きつつ新内節を披露しました。季節に合わせた縁起物の門付け芸には、獅子舞など現在まで伝承されているものもあります。

問二

見世物小屋は、主にどの奉行の管轄下にあったでしょう?

い)寺社奉行

ろ)道中奉行

は)町奉行

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【回答】い)寺社奉行
【解説】

寺社奉行は寺院・神社のみならず、連歌師、楽人、陰陽師なども含めた寺社領の領民支配に関わりました。門前町や境内で開かれた見世物も監督し、訴訟があればその審理も行いました。

問三

「籠抜け」という見世物は、どのような技でしょう?

い)籠の箱から脱出する

ろ)籠の中の物を消す

は)籠の筒を飛び抜ける

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【回答】は)籠の筒を飛び抜ける
【解説】

見世物の花形・軽業の中でも、高い技術が要求された技が「籠抜け」です。長さ2メートルほどの竹で編んだ籠の筒を飛び抜けました。籠の中に等間隔に4本の蝋燭を立て、その焔を揺らさずに飛び抜ける軽業師もいたといいます。

問四

天保4年(1833)、尾張熱田で捕獲され見世物となっていた動物はどれでしょう?

い)アザラシ

ろ)イルカ

は)ペリカン

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【回答】い)アザラシ
【解説】

現場には見物人が押し寄せ、のちに捕えられて見世物に出ました。芸を覚え人気を博したといいます。江戸時代にも現代同様、各地でアザラシ騒動が起こっています。

問五

4代目歌川広重が絶賛した軽業師の名はどれでしょう?

い)松井源水

ろ)早竹虎吉

は)村上平蔵

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【回答】ろ)早竹虎吉
【解説】

大阪を拠点に活躍していた早竹虎吉の一座は、安政4年(1857)に江戸に進出して一世を風靡しました。巨大な駒を片手で回したり、肩などで支える長い竹竿上で子方が軽業をするなど、「曲技」を得意としました。その後、虎吉の一座をはじめ幕末の日本の軽業芸人たちは、競うように欧米に渡航し、人気を博しました。

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