「江戸のススメ」検定問題

2015年3月23日 放送更新版

問一

十返舎一九が大坂で学んだ香道は何流だったでしょう?

い)米川流

ろ)風早流

は)志野流

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【回答】は) 志野流
【解説】

一九は16歳の時、駿府町奉行・小田切直年に仕え、江戸に出、その2年後、大坂に転勤します。しかし、しばらくすると奉公を辞め、義太夫や香道、大坂独自の絵「おどけ絵」を覚えたりと、様々なことに手を出しますが長くは続きませんでした。その後、江戸に出、版元・蔦屋重三郎のもとに身を寄せますが、一九は30歳を過ぎても無名の作家のままでした。

問二

享和2年 (1802)、十返舎一九の「浮世道中膝栗毛完」を出版した版元は誰だったでしょう?

い)蔦屋重三郎

ろ)村田屋治郎兵衛

は)鶴屋喜右衛門

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【回答】ろ) 村田屋治郎兵衛
【解説】

一九は村田屋の主催する落とし噺の会に出入りしていました。村田屋が一九に原稿を依頼したのは、落とし噺の会で一九が面白いネタを披露していたからではないかと考えられています。一九は駿府にいる時から俳諧を学び、狂歌にも精通していたことから「東海道の名所旧跡を狂歌にした楽しい本を作ってくれ」という村田屋の要望に応えられたのです。

問三

「東海道中膝栗毛」の中で、弥次さん喜多さんが川崎宿の万年屋で食べた名物は何だったでしょう?

い)奈良茶飯

ろ)とろろ汁

は)うなぎ飯

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【回答】い) 奈良茶飯
【解説】

明和年間に一膳飯屋だった万年屋は、川崎大師参詣が増えるにつれ、川崎宿一の茶店に発展し、遂に旅籠として宿泊客を受入れるようになりました。店の名物は、炒った大豆、小豆等を入れ炊込んだ奈良茶飯で、奈良の東大寺等で供された茶飯がルーツと言われます。

問四

「東海道中膝栗毛」の中で、弥次さん喜多さんが干してあった襦袢を幽霊と間違えたのはどこの宿場だったでしょう?

い)藤枝

ろ)掛川

は)浜松

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【回答】は) 浜松
【解説】

浜松を描いた浮世絵の大半が浜辺の松林「颯々 (ざざんざ) の松」です。しかし、当時、土地の名所旧跡などを紹介する「地誌」が多く出ており、一九はそれと同じことはしたくなかったため、土地の景勝を記しませんでした。

問五

「東海道中膝栗毛」で弥次さん喜多さんが伊勢に到着したのは何編だったでしょう?

い)4編

ろ)5編

は)6編

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【回答】ろ) 5編
【解説】

文化元年 (1804) に岡部から荒井までの「東海道中膝栗毛三編」が出版された際、四編は舞坂から四日市までを記し、五編で伊勢路から大坂に至ると告知しました。しかし余りに好評で、版元は引き延ばしにかかります。結局、五編は伊勢神宮、六編は伏見辺り、七編は京都、八編で大坂に辿り着きます。弥次さん喜多さんの東海道の旅は、初編出版から8年目にようやく完了しました。

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「大河悠久」(アルバムTOGI より)演奏:東儀秀樹,古澤巌