「江戸のススメ」検定問題

2013年2月4日 放送更新版

問一

鈴木春信の錦絵で有名になった「お仙」は、どこの看板娘だったでしょう?

い)楊枝屋「柳屋」

ろ)水茶屋「蔦屋」

は)水茶屋「鍵屋」

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【回答】は)水茶屋「鍵屋」
【解説】

柳屋お藤、蔦屋およしと共に明和三美人の一人として一世風靡した「お仙」は、江戸谷中の笠森稲荷の門前にあった水茶屋「鍵屋」の娘でした。

問二

江戸の版元・蔦屋重三郎は、どこで生まれ育ったでしょう?

い)吉原

ろ)神田

は)日本橋

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【回答】い)吉原
【解説】

蔦屋重三郎は寛延3年(1750)に生まれ、江戸新吉原で育ちました。吉原大門前・衣紋坂で小さな書店を開き、後に吉原のガイドブックともいえる「吉原細見」など出版を手掛けるようになりました。

問三

版元・蔦屋重三郎の、出版する上でした画期的なことはどれでしょう?

い)活版印刷

ろ)原稿料を払うこと

は)表紙をつけること

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【回答】ろ)原稿料を払うこと
【解説】

当時、ほとんどの洒落本や黄表紙は教養のある武士が趣味で書いたもので、原稿料はありませんでした。蔦屋重三郎は、人気作家・山東京伝に原稿料を支払い専属作家として、内容に口を出すようになりました。版元主導で行われる出版の先駆けでした。

問四

寛政3年(1791)に洒落本の摘発で蔦屋重三郎が受けた処分はどれでしょう?

い)江戸払い

ろ)身代半分没収

は)手鎖50日

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【回答】ろ)身代半分没収
【解説】

寛政の改革の下、山東京伝作の三部の洒落本が摘発を受け、蔦屋重三郎は、身代(財産)半分没収の処分を受けました。なお、作者の山東京伝は手鎖50日という罰を受けています。

問五

蔦屋が見出した絵師・東洲斎写楽が、役者大首絵の背景に用いた技法はどれでしょう?

い)石英摺り

ろ)黒雲母摺り

は)石黄摺り

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【回答】ろ)黒雲母摺り
【解説】

写楽は、役者絵の背景に雲母の粉末を用いました。地の色から「黒雲母摺り」と呼ばれる手法で、写楽の絵にプレミアム感を与えました。

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