「江戸のススメ」検定問題

2012年12月24日 放送更新版

問一

別名「江戸わずらい」と呼ばれた病は何でしょう?

い)脚気

ろ)コレラ

は)麻疹

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【回答】い)脚気
【解説】

江戸時代の食事は、一汁一菜が基本でした。御菜(おかず)が少なく、白米を大量に食べる江戸庶民の中にはビタミン不足で脚気になる人が大勢いました。地方に行くと治ることから、別名「江戸わずらい」と呼ばれ、奇病とされていました。

問二

江戸の町にはじめて誕生した外食はどれでしょう?

い)菜めし

ろ)とろろ飯

は)奈良茶飯

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【回答】は)奈良茶飯
【解説】

奈良茶飯とは、元々奈良のお寺で食べられていた精進料理です。明暦の大火(1657)後、江戸では、浅草の浅草寺門前に奈良茶飯を売る店ができました。これが、江戸の料理茶屋の祖だといいます。

問三

焼いた鰻を出前する際、冷めさせないように用いた物は何でしょう?

い)

ろ)

は)

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【回答】ろ)糠
【解説】

鰻丼の前身・鰻飯は、堺町の芝居の勧進元の蒲焼好きの大久保今助という男が、冷たい蒲焼はまずいので飯にはさんで持ってこさせたのが起源だと『俗字百工起原』に記されています。当時の出前は冷めないよう暖めた糠に挟んでいたが、食べる時に糠を取るのが面倒で、すぐ冷めてしまったといいます。

問四

「詩は五山 役者は杜若 傾はかの 芸者はおかつ料理八百膳」という狂歌を詠んだ人は誰でしょう?

い)平賀源内

ろ)十返舎一九

は)大田南畝

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【回答】は)大田南畝
【解説】

亨保2年(1717)創業の八百膳を大きく発展させた四代目善四郎の時代、八百善には、大田南畝(蜀山人)、酒井抱一などの文人墨客が集っていました。漢学者、狂歌作家、戯作者として知られる大田南畝は、この狂歌で、当時の「一流どころ」を表しました。

問五

味醂は調味料として用いられる前は、主に何に使われていたでしょう?

い)肥料

ろ)

は)

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【回答】は)酒
【解説】

味醂は、戦国時代(16世紀)の頃は、女性向けの甘いお酒として、飲まれていました。江戸時代後期になると、鰻のたれや蕎麦つゆに調味料として活用されるようになりました。

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