「江戸のススメ」検定問題

2012年12月10日 放送更新版

問一

大石内蔵助の赤穂藩での役職はどれでしょう?

い)大老

ろ)国家老

は)老中

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【回答】ろ)国家老
【解説】

大石内蔵助良雄は、国家老で、君主の留守を預かる赤穂藩・最高位の家臣でした。大石家は代々浅野家の家老を勤める家柄でした。

問二

浅野内匠頭長矩による刃傷事件があった当時、吉良家上屋敷はどこにあったでしょう?

い)呉服橋

ろ)数寄屋橋

は)本所

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【回答】い)呉服橋
【解説】

刃傷事件のあった当時、吉良邸は呉服橋門内にありました。元禄14年(1702)の8月19日に、吉良邸の本所一つ目への屋敷替えが決まると、本所が江戸城から離れているため、「吉良の屋敷替えは、幕府が吉良を討てといっているのでは」という噂で持ち切りになったといいます。

問三

元禄15年7月に浅野内匠頭の弟・浅野大学に下された処分はどれでしょう?

い)切腹

ろ)閉門

は)浅野家本家へお預け

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【回答】は)浅野家本家へお預け
【解説】

兄の刃傷事件後、閉門という謹慎処分になっていた浅野内匠頭長矩の弟・浅野大学長広は、広島の浅野家本家に引き取られることとなりました。この処分により、大石の浅野家再興の望みは完全に打ち砕かれました。

問四

大石内蔵助が切腹した場所はどこでしょう?

い)愛宕下

ろ)高輪

は)泉岳寺

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【回答】ろ)高輪
【解説】

本懐を遂げた赤穂浪士たちは4つの藩に預けられました。大石は預けられた高輪・細川家藩邸で切腹を遂げました。

問五

大石内蔵助は、家臣に対し、どこの神社の御札に血判状を書かせたでしょう?

い)厳島神社

ろ)熊野神社

は)鶴岡八幡宮

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【回答】ろ)熊野神社
【解説】

大石は、赤穂城開城に際し、家臣に対し、この件の一切を自分に委ねるという血判状出させました。熊野神社の御札である「熊野牛王神符(くまのごおうふ)」に、誓いの言葉を書いて血判させたものです。約束を破らないことを神に誓う文書で「神文(しんもん)」または「起請文(きしょうもん)」と呼ばれました。

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