「江戸のススメ」検定問題

2012年12月3日 放送更新版

問一

旧暦8月1日に吉原で行われる催し物で、遊女たちが身に纏った衣装は何でしょう?

い)袈裟

ろ)

は)白無垢

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【回答】は)白無垢
【解説】

旧暦8月1日の「八朔(はっさく)」の日、吉原の遊女たちは全員白無垢の打掛け姿となりました。天正18年(1590)8月1日、征夷大将軍となった徳川家康が初めて江戸城に入りました。吉原のこの行事は、その日を祝して、諸大名が白帷子(裏をつけない夏用の衣服)を着て登城し挨拶を行う「八朔祝儀」に習ったものです。

問二

遊客が吉原に行くときに利用した船を何と呼んだでしょう?

い)押送船

ろ)猪牙舟

は)高瀬舟

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【回答】ろ)猪牙舟(ちょきぶね)
【解説】

猪牙舟とは、屋根のない舳先の尖った高速の舟で、江戸市中の河川で使われました。遊客が吉原へ行くときには、この舟が用いられました。

問三

同じ遊女と2回目に会うことを何と言ったでしょう?

い)馴染み

ろ)

は)結納

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【回答】ろ)裏
【解説】

吉原の決まりでは、一度会った遊女(太夫クラス)とその見世(店)を代えることはできませんでした。初めて客と遊女が会うことを「初会」といい、2回目に同じ遊女と会うことを「裏」、または「裏を返す」といいました。

問四

吉原の花魁道中ではどのような歩き方をしたでしょう?

い)内八文字

ろ)外八文字

は)縦八文字

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【回答】ろ)外八文字
【解説】

吉原の花魁道中で、花魁は高さ30センチの高下駄を履き、外八文字で歩きました。最上級の遊女である「太夫」クラスのみが、きらびやかな衣装を身にまとい、多くの供を引き連れ、吉原遊郭の通りを静々と行きました。因みに京都・島原の「太夫道中」では、内八文字で歩いたということです。

問五

吉原に売られた10歳未満の子どもは何と呼ばれたでしょう?

い)散茶

ろ)禿

は)新造

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【回答】ろ)禿(かむろ)
【解説】

吉原に売られた10歳未満の子どもは「禿」と呼ばれ、先輩遊女のための雑用をこなしながら、遊女としての嗜みを学んだといいます。

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