「江戸のススメ」検定問題

2012年10月29日 放送更新版

問一

田沼意次が大名に出世した時、与えられた藩はどこでしょう?

い)館林藩

ろ)白河藩

は)相良藩

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【回答】は)相良藩
【解説】

老中まで昇りつめた意次は、大名としては、相良藩を治めていました。意次の父は紀州藩の足軽でしたが、吉宗の将軍就任で旗本になりました。意次自身は、9代将軍家重の小姓から異例の出世を遂げ、大名となり相良藩を得て、ついには老中となりました。晩年、政治責任を追求された意次は、10代家治の死後に老中を辞任しましたが、居城相良城は破壊され、相良藩からの国替えを命ぜられました。

問二

田沼意次が干拓しようとして失敗した湖沼はどれでしょう?

い)印旛沼

ろ)手賀沼

は)霞ヶ浦

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【回答】い)印旛沼
【解説】

意次の進めた印旛沼開発は、天明6年(1724)の大洪水により2/3まで進んでいた工事が水泡に帰しました。印旛沼は、利根川の調整池的役割を担っていたため、よく水害にみまわれました。田沼時代以降も、治水工事が試みられましたが、完成をみず、水害は、昭和の初期まで度々発生しました。

問三

田沼意次の指示で増産された鉱物はどれでしょう?

い)

ろ)

は)

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【回答】は)銅
【解説】

田沼時代以前の輸出の主力品は金や銀でした。当時、金山・銀山は衰退しており、意次は、銅の増産を指示しました。銅は、フカヒレ、干し鮑などの俵物と共に増産され、慢性的な貿易赤字を克服するための重要な輸出品目となりました。

問四

田沼意次の長男意知は、誰に殺害されたでしょう?

い)水野忠恒

ろ)佐野政言

は)松平外記

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【回答】ろ)佐野政言
【解説】

江戸城内の大名・旗本の刃傷事件は、浅野内匠頭による吉良上野介殺害事件など、7件が記録として残されています。若年寄だった意知(おきとも)は、佐野正言(まさこと)により殺害されました。意知殺害後、高騰していた米価が偶然にも下落したため、田沼の政治に不満を募らせていた民衆は、佐野正言を「世直し大明神」と呼んで崇めたといいます。

問五

田沼時代に積極的に認められた特権的・独占的な同業組合は何というでしょう?

い)割符商人

ろ)札差

は)株仲間

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【回答】は)株仲間
【解説】

田沼時代になると、幕府は、冥加金・運上金(今でいう法人税のようなもの)を徴収するため、つぎつぎと新しい株仲間を認可しました。田沼時代の株仲間は、新規参入の制限、仲間外営業の禁止など、排他・独占的機能が強化されました。そのため、株仲間は、まさに特権でした。

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