「江戸のススメ」検定問題

2012年10月8日 放送更新版

問一

江戸時代の出産方法は、以下のどれが主流だったでしょう?

い)湯の中

ろ)座った状態

は)立った状態

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【回答】ろ)座った状態
【解説】

江戸時代は、座った状態で産む「座産」が主流でした。産椅に座るか、俵や積み重ねた布団などに寄りかかり子を産みました。子どもを産んだ後も、横になると頭に血がのぼるといった俗説から、産後7日間も座ったまま過ごしたといいます。

問二

江戸庶民の「見合い」に、良く使われた場所はどこでしょう?

い)肝煎所(結婚相談所)

ろ)媒酌人の家

は)水茶屋(茶店)

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【回答】は)水茶屋
【解説】

「見合い」は、江戸中期、庶民の間に起こった風習です。芝居見物や、浅草詣、花見などの際、当事者を交えた両家がそれとなく観察し合うことで行いました。芝居はお金がかかったため、庶民は水茶屋を利用することが多かったようです。

問三

東京大学の象徴「赤門」は、誰が建立したでしょう?

い)前田斉泰

ろ)徳川家斉

は)松平定信

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【回答】い)前田斉泰
【解説】

「赤門」は、もともと将軍家の娘が嫁ぎ先に建てられる「御主殿門」です。この地は、加賀藩の敷地でした。文政10年(1827)、加賀藩主・前田斉泰が11代将軍・徳川家斉の娘・溶姫を迎える際に建立しました。

問四

日本初の本格的育児書といわれる『小児必用養育草』の著者・香月牛山は、誰の弟子だったでしょう?

い)林羅山

ろ)貝原益軒

は)吉雄耕牛

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【回答】ろ)貝原益軒
【解説】

『小児必用養育草(しょうにひつようそだてくさ)』の著者である香月牛山(かつきぎゅうざん)は、貝原益軒に儒学を、鶴原玄益に医学を学びました。日本初の教育書と言われる『和俗童子訓』は、貝原益軒が著したものです。

問五

江戸後期、幕府公認の縁切寺(駆込寺)はどれでしょう?

い)浄智寺

ろ)東慶寺

は)明月院

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【回答】ろ)東慶寺
【解説】

江戸時代後期になると、幕府領内の縁切寺は、徳川家と縁故の深い相模国鎌倉の東慶寺と上野国新田郡の満徳寺に限られました。庶民の間で、離婚は原則、夫から妻への離縁状が必要でしたが、縁切寺に一定期間在寺すれば離婚の効果が生じました。

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