2012年10月1日 放送更新版
松尾芭蕉の出身地はどこでしょう?
い)伊賀
ろ)甲賀
は)戸隠
- 【回答】い)伊賀
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【解説】
芭蕉は、寛永21年(1644)に、伊賀流忍術で知られる伊賀上野、現在の三重県伊賀市に生まれました。
芭蕉の名句「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」の蝉の種類はどれでしょう?
い)アブラゼミ
ろ)ニイニイゼミ
は)ヒグラシ
- 【回答】ろ)ニイニイゼミ
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【解説】
歌人・斎藤茂吉は、雑誌『改造』で蝉の種類は「アブラゼミ」であると発表し、文芸評論家の小宮豊隆は「ニイニイゼミ」と主張し論争となりました。芭蕉一行が立石寺に訪れた旧暦の5月27日は、新暦の7月13日となります。この時期、当地ではアブラゼミはなかないため、現在ではニイニイゼミが定説となっています。
『おくのほそ道』の旅の出立地となった芭蕉の住まいはどこでしょう?
い)採荼庵
ろ)龍隠庵
は)(深川)芭蕉庵
- 【回答】い)採荼庵(さいとあん)
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【解説】
深川の芭蕉庵を引き払ってから、『おくのほそ道』の旅に出発するまで「採荼庵」に滞在しました。採荼庵は、芭蕉の弟子であり支援者でもあった杉風の別荘です。『おくのほそ道』での出発日は元禄2年(1689)3月27日ですが、曾良の日記では20日と記されています。この「空白の7日間」や芭蕉一行の道中の不可解な行動から、一行の旅には別の目的があったのではという憶測をよんでいます。
『おくのほそ道』の旅は、どこで終焉したでしょう?
い)伊勢
ろ)大垣
は)桑名
- 【回答】ろ)大垣
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【解説】
江戸を発ってから、およそ150日、中仙道と東海道を繋ぐ美濃路・大垣宿を旅立つところで『おくのほそ道』の旅は終わりとなります。『おくのほそ道』は「蛤の ふたみにわかれ 行く秋ぞ」の句で締めくくられ、芭蕉は伊勢神宮をへと向かいました。
芭蕉が「あらたうと 青葉若葉の 日の光」を詠んだ地はどこでしょう?
い)日光東照宮
ろ)仙台城(青葉城)
は)平泉中尊寺金色堂(光堂)
- 【回答】い)日光東照宮
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【解説】
芭蕉一行は、日光に立ち寄りました。当時、東照宮は非公開で、芭蕉は事前に江戸でもらった紹介状を持参しました。東照宮は初代家康を祭っており、新緑の若葉に輝く陽光を称ることにより、徳川家を賞賛したとも受け取れます。