2012年9月17日 放送更新版
天和元年(1681)以降、「山王権現」と1年交代で「天下祭」を行った神社はどれでしょう?
い)神田明神
ろ)富岡八幡宮
は)浅草三社権現
- 【回答】い)神田明神
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【解説】
「山王権現(現在の日枝神社)」の祭礼と「神田明神」の祭礼は、山車が将軍上覧のため城中に入ったことから「天下祭」と称されました。天和元年(1681)以降、幕府の方針で、両祭礼は隔年で行われました。
全国各地で伊勢信仰を広め、お伊勢参りの宿泊の手配もした伊勢神宮の神職の名称はどれでしょう?
い)権正階
ろ)権宮司
は)御師
- 【回答】は)御師(おんし)
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【解説】
伊勢神宮の御師とは、参拝者のお世話もした下級神職です。当時のお伊勢参りは、「伊勢講」による団体旅行が主流でした。彼らは、全国津々浦々まで足を運んで伊勢信仰のありがたさを喧伝し、各地で「伊勢講」を組織させました。参拝のための積立が一定の金額が貯まると、何人かを代参の旅に行かせたということです。
一度だけ「天下祭」を行った根津権現は、どの将軍の産土神だったでしょう?
い)6代家宣
ろ)7代家継
は)8代吉宗
- 【回答】い)6代家宣
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【解説】
根津権現は、六代家宣の産土神(うぶすな)で、一度だけ山王権現や神田明神と同様の「天下祭」が行われました。家宣の存命中の予定がずれ込み、7代家継の正徳年間に挙行され、8代吉宗の代には中止されました。一度限りとなった大祭の壮大華麗さは、強烈な印象となって残ったといいます。
伊勢神宮の正式名称は、どれでしょう?
い)二所大神宮
ろ)大神宮
は)神宮
- 【回答】は)神宮
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【解説】
一般に「伊勢神宮」と呼ばれていますが、「神宮」というのが正式な名称です。皇大神宮(内宮)と、豊受大神宮(外宮)の総称で、古くは伊勢大神宮・大神宮・二所大神宮ともいいました。
大群衆が伊勢神宮へ詣でた「お陰参(おかげまいり)」で、多くの人が沿道の施しを受けるために持参した道具は何でしょう?
い)壺
ろ)柄杓
は)桶
- 【回答】ろ)柄杓(ひしゃく)
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【解説】
「お陰参」では、柄杓(ひしゃく)で沿道の人の施しを受けながら伊勢を目指す人が沢山いました。お陰年到来への期待から「空から神符が降った」などと噂され、人々は熱狂し伊勢に向かいました。子どもや丁稚が親や雇い主に無断で加わったりすることから、「抜参(ぬけまいり)」などとも呼ばれ、20年に一度の神宮式年遷宮をはるかに上回る大群衆が参詣に押し寄せたということです。