「江戸のススメ」検定問題

2012年9月10日 放送更新版

問一

東海道五十三次中、一番短い区間はどれでしょう?

い)日本橋-品川宿

ろ)御油宿-赤坂宿

は)見付宿-浜松宿

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【回答】ろ)御油宿-赤坂宿 
【解説】

東海道五十三次で、1番短い区間は、現在の静岡県にある「御油(ごゆ)宿」と「赤坂宿」の間の16町(約1.7km)でした。宿場町はどこでも旅籠が軒を連ねるため厳しい競争がありますが、隣の宿場が近い上に「飯盛り女」を多く抱える旅籠が多い「御油宿」と「赤坂宿」での客引きは特に激しかったようです。広重も、御油宿での「留女」と呼ばれる宿屋の客引きが、旅人の袖などを引き千切らんばかりに引っ張る様子を描いています。

問二

広重作「東海道五十三次」にも描かれている「有松絞り」はどのようにして模様をつけたでしょう?

い)板に挟んで染色

ろ)糸で縛って染色

は)蝋で描いてから染色

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【回答】ろ)糸で縛って染色
【解説】

「有松(ありまつ)絞り」とは、生地に糸を括りつけて染め抜いて模様をつける染物で、その作成には熟練の技が必要です。江戸初期に誕生し、現在も名古屋市緑区の有松・鳴海で受け継がれています。広重作「東海道五十三次」では、40番宿の鳴海宿に、その販売店が描かれています。また、熱田神宮の神事「馬の塔」を描いた41番宿・宮宿では、村人たちがお揃いの「有松絞り」の半纏を着ています。

問三

旅人が自炊する「木賃宿」の名の由来はどれでしょう?

い)旅人が薪代(木賃)を払ったため

ろ)安宿でも掃除が行き届いていたため

は)調理場(キッチン)が使えたため

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【回答】い)旅人が薪代(木賃)を払ったため
【解説】

木賃宿とは、旅人が食料を持ち込んで自炊する宿をいい、泊まり客は、燃料である薪代(木賃)を宿代として支払いました。料金は格安で、旅人は皆一緒に囲炉裏を囲んで1つの部屋で食事をし、板張りの床に雑魚寝したといいます。

問四

宮宿はどの神社の門前町だったでしょう?

い)熱田神宮

ろ)多度大社

は)豊国神社

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【回答】い)熱田神宮
【解説】

41番宿・宮宿は、交通の要衝としてのみならず、熱田神宮の門前町としても栄えました。「七里の渡し」は、42番宿・桑名宿との間、約7里(およそ28㎞)を結びました。東海道唯一の海路で、およそ4時間の船旅だったといいます。

問五

広重の描いた三条大橋が、実際のものと大きく違う点はどこでしょう?

い)当時の欄干は朱塗り

ろ)当時の橋桁は石造り

は)当時は2連のアーチ橋

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【回答】ろ)当時の橋桁は石造り
【解説】

広重作『東海道五十三次 京師・三条大橋』で描かれた三条大橋は、橋桁も含めて全て木造ですが、当時の橋桁は石で作られていました。三条大橋は、天正18年(1590年)に豊臣秀吉によって石の橋桁に架け替えられています。そのため、広重は東海道を途中で引き返し、三条大橋を見ずに描いたのではないかという説もあります。

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