「江戸のススメ」検定問題

2012年8月27日 放送更新版

問一

慶長18年(1613年)、徳川家康に花火を見せたのは、どこの国の使者でしょう?

い)中国

ろ)ポルトガル

は)イギリス

答えを見る
【回答】は)イギリス
【解説】

慶長18年(1613年)8月13日に、イギリスの使者・ジョン・セーリスは、駿府城に居城する家康を訪ねた際、鉄砲や望遠鏡などと共に、花火を献上しました。家康が見物した花火は、『駿府政事録』に「立花火」と記録されています。その花火は、筒を地面に立てて、木炭の火の粉を吹き出すだけの単純なものだったようです。

問二

江戸のライバル花火師「玉屋」と「鍵屋」の関係はどれでしょう?

い)玉屋が鍵屋から独立

ろ)鍵屋が玉屋から独立

は)鍵屋が江戸、玉屋が上方の発祥

答えを見る
【回答】い)玉屋が鍵屋から独立
【解説】

「鍵屋」は、万治2年(1659年)に初代・弥兵衛が日本橋横山町に創立し、文化7年(1810年)、「玉屋」は、手代の清七が鍵屋から独立して生まれました。玉屋の屋号は、鍵屋の7代目が清七に与えたと伝えられています。鍵屋の屋号が守護神であるお稲荷さんの狐が鍵を咥えていたことに由来するため、もう一方の狐が咥えていた玉にあやかるようにと考えたようです。

問三

花火師「玉屋」が、江戸追放・一代で断絶となった理由は何でしょう?

い)失火

ろ)火薬の販売

は)打ち上げ失敗

答えを見る
【回答】い)失火
【解説】

天保14年(1843年)、両国にあった玉屋は不慮の失火を出しました。当時、失火の罪は重く、玉屋は江戸追放となり、一代で断絶してしまいました。そのため、大川(隅田川)で、両国橋の上流の玉屋と下流の鍵屋がその技を競った時代は、わずか30年数年だったということになります。

問四

線香花火の一種「スボ手牡丹」の柄の部分は何でできていたでしょう?

い)

ろ)竹ぐし

は)和紙

答えを見る
【回答】い)藁
【解説】

「スボ手牡丹」は、「長手牡丹」と並ぶ線香花火の一種です。スボとは、藁のことで、藁の先に火薬をつけ、これを香炉に立てて火をつけて遊んだことが線香花火の始まりだと言われています。この「スボ手牡丹」は、現在でも関西地方を中心に親しまれています。

問五

大川(隅田川)の屋形船や屋根船に料理や飲み物を提供した船を何と呼んだでしょう?

い)うろうろ船

ろ)ゆらゆら船

は)ぼてぼて船

答えを見る
【回答】い)うろうろ船
【解説】

船遊びの遊船(屋形船や屋根船)に鮨、酒、果物などを売る「うろうろ船」と呼ばれる船がありました。船遊びはもっとも贅沢な夕涼みでした。これらの遊船の客は、主に上級武士や富裕な商人、各藩の留守居役や大店の番頭などでしたが、のちには庶民でも船遊びを楽しむ人がでてきたといいます。

これまでの今週の問題はこちらから

過去の問題一覧