「江戸のススメ」検定問題

2012年7月23日 放送更新版

問一

江戸時代の大坂の三大市場の一つとされる米市場はどこにあったでしょう?

い)天満

ろ)堂島

は)雑喉場

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【回答】ろ)堂島
【解説】

堂島米市場は、江戸時代に大坂で、天満の青物市場、雑喉場の魚市とともに三大市場と並称された米市です。大坂の藩の蔵屋敷などが、蔵物販売事務を町人蔵元に任せたところから発展しました。帳合米取引といわれる先物取引も行われ、その相場が堂島、ひいては全国の正米取引相場をリードしました。

問二

喜多川守貞の『守貞謾稿』はいつ頃書かれたものでしょう?

い)元禄

ろ)享保

は)天保

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【回答】は)天保
【解説】

江戸後期の風俗史家の喜多川守貞は、大坂生まれで、のちに江戸・深川に移り住みました。『守貞謾稿』は、天保8年(1837年)から慶応3年(1867年)頃までに書かれた、当時の江戸・上方の風俗に関する考証的随筆です。生前は刊行されず、明治41年(1973年)に『(類聚)近世風俗史』として刊行されました。

問三

十組問屋・二十四組問屋に属した江戸・大阪間の定期貨物船は何というでしょう?

い)菱垣廻船

ろ)樽廻船

は)北前船

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【回答】い)菱垣廻船(ひがきかいせん)
【解説】

菱垣廻船は、積荷が落ちないよう左右の船縁に垣立を菱形に組んでいたことから、この名で呼ばれていました。江戸の十組問屋と大坂の二十四組問屋に属し、公の保護を受け栄えましたが、江戸末期には樽廻船に押されて衰退しました。

問四

大阪・道頓堀の命名者は誰でしょう?

い)安井道頓

ろ)松平忠明

は)石田三成

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【回答】ろ)松平忠明
【解説】

道頓堀は、慶長17年(1612年)河内久宝寺の豪族・成安(安井)道頓、安井道ト(九兵衛)らが、起工しました。豊臣方に属した道頓は大坂夏の陣で戦死し、道トらが遺志を継いで完成させました。はじめ、南堀と呼ばれていましたが、道頓の死を哀れんだ大坂城主・松平忠明が道頓堀と命名しました。

問五

秀吉の死後、家康が居城とした幕府の政治的・軍事的拠点はどこでしょう?

い)

ろ)大津

は)伏見

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【回答】は)伏見
【解説】

秀吉の死後、家康は伏見を居城としました。京都と大坂を結ぶ水陸両交通の要地であり、大坂の陣で豊臣氏が滅亡するまでは、幕府の政治的・軍事的拠点でした。その後、幕府の直轄地として遠国奉行がおかれています。

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