2012年7月9日 放送更新版
六義園を築造した柳沢吉保は、どの将軍の側用人だったでしょう?
い)5代綱吉
ろ)7代家継
は)9代家重
- 【回答】い)5代綱吉
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【解説】
六義園は柳沢吉保の下屋敷でした。明暦の大火後、大名たちは、上屋敷、中屋敷、下屋敷など2つ以上の屋敷をもつようになりましたが、下屋敷などには、ほとんどが庭園のものもありました。柳沢吉保の役職である「側用人」は綱吉により設置された側近中最高の役職です。左近衛将軍に任じられて老中の上座に昇進した柳沢吉保の政治は、その権勢から「側用人政治」と称されました。
江戸第一の植木屋とうたわれた伊藤伊兵衛は、どこを拠点としていたでしょう?
い)駒込
ろ)巣鴨
は)堀切
- 【回答】い)駒込
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【解説】
伊兵衛は元々、駒込染井村にある伊勢国津藩藤堂家下屋敷に出入りし、庭の草木に露よけの覆いをする仕事をしていました。藤堂家の庭で、時期が過ぎれば抜き捨てていた草花を植え溜めて栽培し、植木屋になったと言われています。駒込染井村には、多くの植木職人が住み、村全体が花園のようであったといいます。
「大久保のつつじ」を栽培した鉄砲組同心は、何組でしょう?
い)甲賀組
ろ)伊賀組
は)根来組
- 【回答】ろ)伊賀組
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【解説】
江戸には甲賀組、伊賀組、根来組(ねごろぐみ)、二十五騎組といった鉄砲隊組織がありましたが、現在の大久保(新宿区百人町)には、大久保百人組とよばれた伊賀組百人同心の組屋敷がありました。彼らは、つつじだけを専門に、集団的に栽培し、苗木を販売すると共に観覧に供し、大久保は江戸の名所に数えられるほどだったといいます。
江戸時代に「金生樹」と呼ばれた次の植物のうち、ラン科ではないものは?
い)松葉蘭
ろ)長生蘭
は)富貴蘭
- 【回答】い)松葉蘭
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【解説】
長生蘭(チョウセイラン)、富貴蘭(フウキラン)は、ラン科の常緑多年草ですが、松葉蘭(マツバラン)はシダ植物で、マツバラン科の植物です。当時、カラタチバナや万年草(オモト)などの新花、珍花は、高値で取引され、「金生樹(かねのなるき)」と呼ばれていました。長生蘭、松葉蘭、富貴蘭(風蘭)も、「茎葉の変わり物」は重宝され、その傾向が強かったようです。
嘉永6年に花園として誕生したものは、どの遊園地でしょう?
い)東京ドームシティアトラクションズ
ろ)としまえん
は)浅草花やしき
- 【回答】は)浅草花やしき
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【解説】
現在の花やしきは、嘉永6年(1853年)に千駄木の植木屋森田六三郎により、牡丹と菊細工を主とした花園として誕生しました。明治5年ころからは遊戯施設も置かれるようになりました。震災や戦禍により閉園されていましたが、昭和24年(1949年)に遊園地として再建され、現在に至ります。