「江戸のススメ」検定問題

2012年6月11日 放送更新版

問一

江戸に開設された銀座は、どこから移転してきたものでしょう?

い)大坂

ろ)駿府

は)長崎

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【回答】ろ)駿府
【解説】

江戸時代の銀座では、勘定奉行の支配のもと、銀貨製造が行われていました。江戸初期は京都、駿府、大坂、長崎におかれていましたが、慶長17年(1612年)駿府銀座が江戸・京橋に移転し、のち、各地の銀座が閉鎖され統一されました。

問二

江戸時代、金貨1両は、次のどれに相当するでしょう?

い)10分

ろ)16朱

は)1000匁(銀)

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【回答】ろ)16朱
【解説】

江戸幕府は、金・銀・銭を基本通貨とする三貨制度を採用しており、金貨は、額面のある計数貨幣でした。金貨の単位には「両」「分」「朱」がありました。その単位は四進法で、両の1/4が「分」、分の1/4が「朱」となり、一両は16朱となります。

問三

大丸が、江戸店開業前から宣伝に活用した物は?

い)

ろ)風呂敷

は)花魁の着物

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【回答】ろ)風呂敷
【解説】

江戸店開店の5年前から、店の名前の入った派手な風呂敷を作っていました。大丸は、取引契約をした同業者に呉服を送る際、店の名前を入れた風呂敷をつけました。取引先の小僧さんが、その風呂敷に呉服を包んで江戸の街を歩いたため、開店前から、知名度が上がっていたといいます。

問四

銭貨の穴に紐を通してまとめることがありましたが、一文銭何枚で百文として通用したでしょう?

い)88枚

ろ)96枚

は)103枚

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【回答】ろ)96枚
【解説】

一文銭貨の穴に麻紐や藁紐を通して96枚に束ねて使っていました。束ねたものを「銭さし」といい、96枚が百文、960枚が千文で通用したといいます。

問五

江戸時代の金貨鋳造所「金座」は、現在のどこにあったでしょう?

い)日本橋本石町・日本銀行

ろ)大阪市北区天満・造幣局

は)日本橋兜町・日本証券取引所

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【回答】い)日本橋本石町・日本銀行
【解説】

江戸初期、金座は江戸、京都、駿河、佐渡に分かれていましたが、元禄8年(1695年)には江戸に集中されました。現在の日本銀行本店は、この江戸金座跡地に建っています。この地には、鋳造工場である金吹所(きんふきしょ)、事務所である金局、世襲の御金改役である後藤庄三郎光次の役宅がありました。

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