「江戸のススメ」検定問題

2012年5月14日 放送更新版

問一

伊豆、安房、相模など江戸周辺で漁獲された鮮魚などを、短時間で江戸まで輸送するために用いられた小型船の名は?

い)伝馬船

ろ)押送船

は)弁才船

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【回答】ろ)押送船
【解説】

冷蔵・冷凍技術のない江戸時代、伊豆、安房、相模などで水揚げされた鰹も、この「押送船(おしおくりぶね)」で江戸まで運ばれました。長さ15メートルほどの小型船で、帆と櫓の両方を備え、7~8人が漕ぎ手として乗りました。軽さを追及するため、使う木材を極力減らし、設備は最小限に抑えたと言います。獲れた日の夜に、江戸に着き売られた鰹は、「夜鰹」と呼ばれ、特に珍重されました。

問二

文化14年、柳橋の万八楼という料理屋で開催された「大酒大食い大会」の「酒の組」優勝者の飲んだ量は、以下のどれと記録されているでしょう?

い)9升5合

ろ)1斗9升5合

は)2斗9升5合

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【回答】ろ)1斗9升5合
【解説】

1斗9升5合といえば、日本酒1升瓶(当時は1升瓶はありませんが)を19本と半分を飲み干したことになります。さすがにその場で倒れたが、しばらくして目を覚まし、さらに、茶碗で水を17杯飲んだというエピソードが残されています。

問三

江戸には多くの市場がありましたが、以下のうち主に扱うものが魚でなかったところはどこでしょう?

い)

ろ)京橋

は)日本橋

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【回答】ろ)京橋
【解説】

日本橋魚市場、芝雑魚場魚市場(現在のJR田町駅付近)は魚市場でしたが、京橋大根河岸青物市場は野菜市場でした。日本橋にも、大正12年の関東大震災の壊滅的な被害により築地に移転されるまで魚市場がありました。日本橋から江戸橋にかけての一帯は、かつて多くの魚問屋が立ち並んでいましたが、現在は、日本橋のたもとに「日本橋魚市場発祥の地碑」があるだけです。

問四

鰹節の「本枯節」は、保存状態を良くするために「荒節」にない工程を加えています。さて、その工夫とは?

い)塩漬けにする

ろ)カビをつける

は)麹をつける

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【回答】ろ)カビをつける
【解説】

鰹節の歴史は、室町時代から江戸時代初期に、「焙乾(ばいかん)」という乾燥の技術が導入されたことにより始まります。「荒節」は、江戸時代には紀州や土佐で作られ、「天下の台所・大坂」に運ばれ、今も関西を中心に食されています。しかし、江戸まで送る場合、カビの発生に悩まされていました。その後、先に良質のカビをつけることにより、悪いカビを防ぐ方法が発見され「本枯節」が生まれました。東西の味の違いはこんな発見から生まれていたのです。

問五

初物に熱狂した江戸の人々の間では、初物を食べると寿命が伸びると言われていました。何日伸びると言われていたでしょう?

い)75日

ろ)365日

は)2000日

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【回答】い)75日
【解説】

「初物七十五日」と言われていました。「初物を食べれば、寿命が七十五日伸びる」という意味ですが、『初物の長「初鰹」は十倍の七百五十日長生きできる』とも言われていました。なすびや白魚などの初物が熱狂的に好まれた江戸の中でも、「初鰹」は特別な存在だったようです。

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