「江戸のススメ」検定問題

2012年4月23日 放送更新版

問一

潮干狩りの起源は、現在も行われている日本の行事と関係があります。その行事とは、どれでしょう?

い)雛祭り(桃の節句)

ろ)こどもの日(端午の節句)

は)春分の日(お彼岸)

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【回答】い)雛祭り(桃の節句)
【解説】

潮干狩りの起源は、3月3日頃に「浜下り(はまおり)」という海岸で煮炊きをする雛祭りの行事にあるといわれています。旧暦3月3日(新暦4月上旬)ごろは、大潮にあたり、干満の差が激しく、潮干狩りに適していました。今でも沖縄や奄美地方には、「浜下り」と呼ばれる風習が残っている地域があります。

問二

潮干狩りの名所としても知られた品川ですが、東海道の宿場町として有名です。江戸時代、品川宿は東海道の何番目の宿に当たるでしょう?

い)第1宿

ろ)第2宿

は)第3宿

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【回答】い)第1宿
【解説】

日本橋から2里ほどの距離にある品川宿は、1601年、東海道53次の1番目の宿と指定されました。品川宿は、目黒川を挟んだ南・北品川宿と享保期にできた歩行新宿とで構成されていました。遊郭があり、近場に花見、潮干狩りの行楽地を抱え、宿内には1600軒、7000人もの人が住み、栄えていたということです。

問三

「芝浦、高輪、品川沖、佃島、深川州崎、中川の沖…」と潮干狩りの名所を記した、1838年に刊行された本の名は?

い)東海道中膝栗毛

ろ)庭訓往来

は)東都歳時記

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【回答】は)東都歳時記
【解説】

天保9年(1838)に江戸で刊行された「東都歳時記」は、江戸や近郊の年中行事を、ふんだんな挿絵を添えて解説しています。「早旦より船に乗じてはるか沖に至る。卯の刻(6時頃)より引始めて、丑の半刻(正午頃)には、海底陸地と変ず。ここに降り立ちて、蠣蛤を拾い 砂中の平目をふみ、引き残りたる朝汐に小魚を得て宴をも催せり…」と、早朝から船を漕ぎ出し、宴まで催す「潮干狩り」の様子を伝えています。

問四

江戸時代、公家や大名家の嫁入り道具であった貝桶には、「貝合わせ」という装飾された貝殻が入っていました。どの種類の貝が使われたでしょうか?

い)浅蜊

ろ)

は)真珠貝

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【回答】ろ)蛤
【解説】

夫婦和合の象徴として公家や大名家の嫁入り道具であった貝桶には、「貝合わせ」という遊戯に使われる蛤の貝殻が入っていました。「貝合わせ」とは、平安末期から起こった遊戯で、二枚貝は同一の貝でないと蓋と身が合わないため、「女性の貞操のしるし」とも考えられていました。貝の内側には、源氏物語をモチーフにしたものなどが描かれ、対になる貝には同じく対になる絵が描かれていました。

問五

江戸時代に、鉄砲洲沖の干潟を埋め立てて作られた人工島・佃島。その名前の由来は?

い)島に作られた田んぼ「作り田」から命名

ろ)摂津国・佃村の住民が移り住んだことから命名

は)名物「佃煮」発祥の地であることから命名

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【回答】ろ)摂津国・佃村の住民が移り住んだことから命名
【解説】

徳川家康の江戸入りの際、摂津国西成郡佃村の漁民の奉仕を受けたことから、江戸に居住させ、漁業に従事させたのが、佃島の始まりと「江戸名所図会」では伝えられています。実際に佃村出身であったことという歴史的証拠はないが、摂津の漁民が移り住んだことは事実ではないかとみられています。

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