「江戸のススメ」検定問題

2012年4月16日 放送更新版

問一

江戸時代から、花見の名所であった寛永寺。家康、秀忠、家光と徳川幕府3代の側近として活躍し、東叡山寛永寺を開山し、初代門主となる僧侶の名は?

い)天海

ろ)崇伝

は)慧慈

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【回答】い)天海
【解説】

天台宗僧・慈眼大師天海は、江戸城の鬼門に東叡山寛永寺の建立を家光に進言し開山、初代門主となりました。山号の東叡山とは東の比叡山を意味しています。三世以降の門主は親王もしくは天皇猶子によって継承されました。寛永寺境内は、当時から桜の名所でしたが、鳴り物や屋台はご法度で、現在の上野公園とは、随分雰囲気も違ったことでしょう。

問二

ソメイヨシノの江戸時代から明治初頭までの呼び名は?

い)染井桜

ろ)吉野桜

は)江戸桜

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【回答】ろ)吉野桜
【解説】

ソメイヨシノの起源は、江戸染井村(現在の豊島区駒込)の植木屋が作り出したものにあるという説が有力です。オオシマザクラとコマツオトメのようなエドヒガン系の園芸種の交配によるものと考えられています。その多くがシロヤマザクラである奈良吉野の桜とは関係がなく、吉野の桜に引けを取らない美しさということでそう呼ばれていたのでしょう。「ソメイヨシノ」の名は、明治23年(1890年)に藤野寄命によって名付けられました。

問三

徳川吉宗は、8代将軍として紀伊徳川家から迎えられました。徳川将軍15代のうち、紀伊徳川家出身の将軍は他に誰がいるでしょう?

い)綱吉

ろ)家茂

は)他に誰もいない

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【回答】ろ)家茂
【解説】

紀伊徳川家からは、吉宗(8代)、家茂(14代)が将軍となりました。13代将軍家定が病弱で、14代将軍をめぐって、慶福(のちの家茂)を推す南紀派と慶喜を推す一橋派の激しい対立がありました。安政5年(1857年)南紀派の井伊直弼が大老に就任し、11代家斉の孫でもある慶福が継嗣に決定されました。慶福は13歳で将軍職につきますが、21歳でその生涯を終えました。

問四

江戸中期、8代将軍吉宗により行われた幕政改革の名称は?

い)寛政の改革

ろ)天保の改革

は)享保の改革

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【回答】は)享保の改革
【解説】

享保元年(1716)から延享2年(1745)までの、8代将軍吉宗による幕政改革。江戸の整備・改造、法と官僚機構の整備に加え、全国規模で人口調査資源調査を行うなどの公共政策・国家政策が展開され、またそれらの財政的裏付けとなる増税政策を実施された。王子・飛鳥山、品川・御殿山など、吉宗の命により庶民も楽しめる桜の名所が造られたが、増税などにより高まった庶民の不満のガス抜きの役割を果たしたとも言われています。

問五

小豆餡の餅を塩漬けの桜の葉で包んだ江戸風の桜餅は、向島のあるお寺の門前で売られたことにその起源があります。そのお寺の名前は?

い)道明寺

ろ)長命寺

は)泉岳寺

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【回答】ろ)長命寺
【解説】

江戸風の桜餅は、長命寺の門番をしていた山本新六が、享保2年(1717)に樽の中で塩漬けにした桜の葉で包んだ餅を桜もちとして考案し、桜の名所・隅田川堤(墨堤通り)近くの向島・長命寺の門前にて売り始めたことに由来します。初代新六の創業した「長命寺 桜もち 山本や」は、現在も向島の地で受け継がれています。

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