「江戸のススメ」検定問題

2012年4月9日 放送更新版

問一

鎖国下、オランダ、中国との貿易で栄えた長崎ですが、オランダとの貿易は、ポルトガル貿易が禁止されるまでは別の港を中心に行われてきました。さて、その港はどこにあったでしょう?

い)対馬

ろ)平戸

は)壱岐

答えを見る
【回答】ろ)平戸
【解説】

長崎は、1570年の開港以来、ポルトガル船との貿易を中心に栄えてきました。当初は自由貿易であったポルトガル、中国との貿易も、糸割符制度の管理貿易となり、1639年(寛永16年)には、ポルトガル船の日本渡来が禁止されました。その2年後に、平戸のオランダ商館が長崎出島に移転され、いわゆる鎖国体制の完成となりました。

問二

徳川光圀の造園した小石川後楽園。「後楽園」の名前は中国の故事によりますが、その故事が掲載されている中国の本は?

い)伯夷伝

ろ)史記

は)岳陽楼記

答えを見る
【回答】は)岳陽楼記
【解説】

小石川後楽園は水戸徳川家の祖・頼房が江戸中屋敷(のち上屋敷)の庭として造り、2代・光圀が完成させました。朱舜水の命名した後楽園という名前は、范仲淹『岳陽楼記』の「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽(天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ)」という故事に由来します。

問三

江戸時代、長崎に通訳専門の役人がいましたがその名称は?

い)唐通事

ろ)事始事

は)唐蘭仕

答えを見る
【回答】い)唐通事
【解説】

1604年に、在留明人の馮六官という人物を任命したのが始まりとされています。唐通事は子孫が一子相伝でその任にあたり、唐通事の家は70数家あったと言われますが、実際にその任務につけるのは10人あまりというとても狭き門だったといいます。

これまでの今週の問題はこちらから

過去の問題一覧