今週の謎

#98 2014年2月17日放送

今週のテーマ:「側近政治」

260年に及んだ徳川幕府の長期政権を支えたのは側近たちです。その中に学者の身分でありながら政治を動かした唯一の人物が新井白石です。徳川再興を目指した白石の処世術とは何だったのか?超理想主義者白石の前に立ちふさがるライバル。荻原重秀への執拗までの憎しみの根源とは?儒学者ふたりの仁義なき戦いとは?今回は「側近政治」に秘められた謎を解き明かします!

「今週のふれーず」
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江戸のうんちく学

五代将軍徳川綱吉公の時代、寺社建築での散財や浪費などにより、幕府の財政は危機的状況に陥りました。逼迫した幕府財政を好転させるため綱吉は日本で初めて「貨幣改鋳」を行います。発案者の荻原重秀は小判に含まれる金の含有量率をこれまでの3分の2に減らしたのです。つまり小判2枚の金の量で3枚の小判を作り大幅に通貨の供給を増やしていく事が狙いでした。その結果、過剰なインフレを起こしてしまい、庶民たちは困窮の一途をたどったのです。白石にとってはこの状況を黙視する事などできませんでした。貨幣の質を落とし、利益を得るという行為は幕府の権威を失墜させると考えたのです。そこで白石は幕府の権威を再び高める為、金の含有率を家康の作った慶長小判に戻す事であると重秀に貨幣改鋳のやり直しを提言するのです。しかし二人には元々、決定的な理念の違いがありました。流通するお金を増やし経済を活気づけるリフレ政策をとる重秀、一方、白石はお金の流通を抑える事で物価水準を低下させ貨幣価値を高めるデフレ政策を正しいとしていました。重秀は金の含有率は戻しましたが大きさを小さくし、目方も半分に減らす宝永小判を作りました。結局、宝永小判は人々の混乱を招いて失敗に終わり、白石の重秀への憎悪は増していく事となりました。

江戸あらかると

火の児

火の児

白石の父・正済は久留里城城主である土屋利直に仕え、目付の職を務めていました。利直は明暦の大火の直後に生まれた白石を「火の児」という愛称で呼び、常に傍らにおいて我が子のように可愛がっていました。白石が「火の児」と呼ばれていた理由は諸説あり、気性が激しく、怒ると眉間に「火」の文字のシワが出来たからだとも言われています。肖像画に描かれた白石の眉間にも「火」という文字が浮かびあがっているようにも見えます。一方で、浪人時代には自分の生活が苦しいのにも関わらず、良い仕事の話を友人に譲るなど、優しい一面ももっていました。

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江戸のススメテーマソング

「大河悠久」(アルバムTOGI より)演奏:東儀秀樹,古澤巌