今週の謎

#78 2013年9月30日放送

今週のテーマ:「柳沢吉保の出世術」

5代将軍・徳川綱吉の側近・柳沢吉保。綱吉の寵愛を受けた柳沢はわずかな禄高から15万石余りの大大名、更には幕閣最高位である「老中」をも凌ぐ地位を手に入れました。江戸時代で最も出世した武士・柳沢吉保の驚くべき処世術とは?そして、後世にまで語り継がれる黒い疑惑の真相とは?今回は柳沢吉保の出世術に秘められた謎に迫ります!

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江戸のうんちく学

江戸時代で一番出世した武士、柳沢吉保。後に5代将軍となる徳川綱吉が、まだ館林藩主だった頃から仕え始め、禄高530石の藩士から15万石余りの大大名に出世し、近衛少将という官位に上り詰め、老中よりも格上の「大老格」になりました。なぜそこまで出世出来たのか?実は、綱吉の格別の寵愛を受けた、という理由以外はよくわかっていません。しかし、柳沢の処世術は現代に通じる共感を今に伝えています。「利発者は利発に見えないように勤めることが肝要である」「主君の表情や言葉の様子から、するべき仕事を読み取るようにせよ」 柳沢は、決して出過ぎたことはしませんでしたが、「1」を言われて「10」を理解して仕事ができるように常に気を配っていました。さらに、家臣に対してはこんな事を言っています。「大きな道を通る際には片側を通るように」 出世による驕りを戒め、慎み深く生きることを、自分自身はもちろん家臣たちにも求めていたのです。

江戸あらかると

恵林寺 柳沢吉保公墓所

恵林寺 柳沢吉保公墓所

柳沢吉保は、正徳4年(1714)に57歳で亡くなると、吉保が菩提寺として甲府に建立した永慶寺に葬られました。享保9年(1724)、2代藩主吉里が甲府から大和郡山に転封されると、永慶寺は大和郡山に移設となり、吉保の遺骸は武田信玄の墓所でもある恵林寺に改葬されます。実は、柳沢氏は武田氏の支族として甲斐国から起こっています。甲府藩主になったことを大変誇りに思っていた吉保は、先祖が仕えた武田信玄と同じ寺で眠っているのです。

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「大河悠久」(アルバムTOGI より)演奏:東儀秀樹,古澤巌