今週の謎

#54 2013年4月15日放送

今週のテーマ:「女の一生」

ハンサムウーマン、「新島八重」。八重のように自立していく女性の原点は、江戸の「教育や習わし」にありました。明治へと引き継がれた江戸の女性たちの生き方とは一体どんなものだったのでしょう。自らの手で人生を切り開く彼女たちを育んだのはです江戸の社会とは?今回は、江戸時代の「女の一生」に秘められた謎を解き明かします!

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江戸のうんちく学

江戸時代の中期を過ぎた頃には寺子屋などの増加により庶民たちの識字率が急激に上昇しました。それに伴い「往来物」と呼ばれる教材が数多く出版されたのです。江戸から明治にかけて出版された往来物は約2万種もあり、そのうち女性用の往来物は3千種ほどあったと言われています。その中でも人気があったのが『女今川』です。当時、室町時代の武将・今川了俊の書いた『今川状』が、男子用の指南書となっていました。対して『女今川』とは、女性用の教訓書として書かれたもので、生きる上での禁止事項や人としてのあり方が著されています。他にも「女大学」など女訓書は数多く出版され、江戸時代の女性たちはそこから学び、自らを戒めたのです。明治時代にハンサムウーマンと呼ばれた新島八重も『女今川』の影響を受けた1人で、夫・新島襄が機嫌を悪くした際、『女今川』の一節を用いて諌めたといいます。

江戸あらかると

六義園

六義園

江戸時代中期頃、暮らしに余裕の出てきた町人の娘たちの間でお稽古事ブームが起こりました。武家奉公にあがるためには読み書きや教養はもちろん三味線などの芸事も求められ「目見(めみえ)」という面接と実技の試験を受けなくてはなりませんでした。今の「六義園」にあった郡山藩2代藩主・柳沢信鴻の家にも、大勢の娘達が武家奉公の試験を受けに来たといいます。その時の様子が信鴻の「宴遊日記」の中に記されています。例えば、伊勢屋四郎兵衛の17歳の娘に三味線を弾かせたところ、評価は「大下手」。誰もが習い事に熱心だったこの時代、試験もレベルが高かったようです。

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江戸のススメテーマソング

「大河悠久」(アルバムTOGI より)演奏:東儀秀樹,古澤巌