今週の謎

#53 2013年4月8日放送

今週のテーマ:「八代将軍 徳川吉宗 後編」

吉宗が八代将軍になった時、先代までの放漫経営で幕府財政は逼迫し、一刻も早い改革が必要となってました。そこで吉宗の進めた画期的な政策が「享保の改革」です。その改革の行末は?そして、最強のライバル徳川宗春が登場!苦境に立たされた将軍のプライドをかけた闘いの結末は?八代将軍徳川吉宗に秘められた謎を解き明かします!

ダイジェスト動画

過去の放送一覧をみる

江戸のうんちく学

「享保の改革」とは、享保元年(1716)から29年にわたる吉宗在任中に行われた改革の総称です。その範囲は、政治体制、経済、法律から文化までと多岐にわたり、転換期を迎えていた幕府を全面的に再編するという一大事業でした。特に力を入れたのは財政再建です。緊急措置としての「上米の制」から始まり、年貢率・徴収法の見直し、新田開発と果敢に取り組みました。一時は、幕府の御金蔵には100万両もの小判を蓄えたともいわれた吉宗の改革ですが、米価安にみまわれます。その常態化した米価安に真っ向から立ち向かい奮闘する姿から、吉宗は「米将軍」「米公方」と呼ばれました。享保の大飢饉や、江戸で初となる「打ちこわし」などが発生し、相次ぐ増税などにより、名君の人気は陰りを見せます。一方、長男・家重は、言葉不明瞭で、大奥に籠り酒色に耽っていました。自ら選んだ後継者の将軍としての資質が疑問視されるなど、悩みの多い晩年を過ごした吉宗は、寛延4年(1751)6月20日永眠。遺言により自らの霊廟は造らせず、その亡骸は上野・寛永寺の五代将軍綱吉の廟に葬られ、合祀されました。

江戸あらかると

徳川宗春

徳川宗春

吉宗最大のライバルとなった尾張藩主徳川宗春は、3代藩主綱誠(つななり)の20男で、吉宗と将軍の座を争った継友の弟です。宗春も吉宗と同じように、本来なら藩主の座を継ぐような身ではなかったのですが、兄たちが次々と亡くなり、享保15年(1730)、尾張藩7代藩主となりました。宗春は、自らの政治理念や施政方針を「温知政要」という本に著しています。そこには、規制緩和や倹約主義への反対など、吉宗の政治とはまったく異なる意見が述べられています。事実、幕府の統制が強まる中、遊郭、相撲や芝居などを許可するなど規制緩和を実施し、名古屋は江戸・大坂・京都にならぶ商都へと成長を遂げました。しかし、こうした宗春の政策は、幕府にとって次第に驚異となっていきます。幕府老中の松平乗邑と尾張藩の重臣は宗春の失脚を画策。宗春の参勤交代中に実権を掌握した尾張藩家老たちにより宗春は権力を失い、宗春には幕府からの謹慎蟄居の命が下されました。

過去の放送一覧

過去の放送一覧を見る

  • 公式ブック 謎解き!江戸のススメ
  • 公式モバイルサイト スマホ・携帯サイトにも対応
  • ダウンロード無料!番組オリジナルスマホアプリ
  • 「江戸のススメ」検定
江戸のススメテーマソング

「大河悠久」(アルバムTOGI より)演奏:東儀秀樹,古澤巌