今週の謎

#42 2013年1月21日放送

今週のテーマ:「鎖国とシーボルト事件」

鎖国と呼ばれた江戸時代の外交・貿易政策。その最中、出島にオランダから一人の医師が来日しました。それがシーボルトです。日本の学術発展に貢献した彼には、オランダ任務から特別な任務が課されていました。しかし滞在六年目に国外追放!幕府の役人をも巻き込んだ重大な事件とは!と言う事で、今回は鎖国とシーボルトについての謎解きと参りましょう!

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江戸のうんちく学

オランダ商館長「カピタン」には、貿易の許可を得ている御礼として、将軍に謁見し、献上品を届ける「江戸参府」が義務づけられていました。シーボルトは文政9年(1826)の春、江戸参府に同行。通常はカピタンと書記と医師、三人のオランダ人に加え、長崎奉行所の役人、通詞、料理人などがそのメンバーでしたが、シーボルトはさらに、日本研究の協力者として、絵師や門人を加えたため、総勢100人を越える大行列だったそうです。シーボルトはひんぱんに駕篭から降りて、日本の調査を行いました。気になる植物を見つけると、門人に標本を作らせたり、同行の絵師には、風景や風俗などを細かく描かせました。さらに、様々な日本を様々な角度から調査し、美術品から日用品まで様々な品物を収集するなかで、「日本の民族博物館を作りたい」というシーボルトの夢が芽生えていったようです。

江戸アラカルト

出島

出島

江戸時代、オランダとの貿易の拠点となったのが、出島でした。実は、島の最も長い所でも、およそ230メートルと大変狭かったのです。出島を描いた絵巻には、ビリヤードを楽しむ様子や、西洋の楽器を楽しむ人々などが描かれています。しかし、出島が人々で賑わうのは、オランダ船が停泊している7月から9月頃の2ヶ月間のみで、常駐するオランダ人は、わずか15人ほどでした。さらに彼らは、長崎奉行所の許可がない限り、狭い出島から出ることは禁じられていました。そのため出島は「国立の監獄」と呼ばれていたそうです。

おとな浮世絵コレクション

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